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更新日 2018-08-29 | 作成日 2018-07-27

第4回鑑賞教育フォーラム

鑑賞教育と普及活動

 山崎 正明 

北海道千歳市立北斗中学校教諭

はじめに

指導要領の改訂に伴い、中学校の選択教科が実質的に消滅する。今後美術教師の数はかなり減るだろう。退職しても補充しないことを5年続けたら…。
今後一人一人の果たすべき役割は大きい。
 「鑑賞教育」は、美術教育の研究会や美術教育関連誌ではすでにメジャーになっている。しかし一部の地域をのぞいては、日頃の図工や美術の時間に充分実施されているとは言い難い。美術館との連携というけれど、美術館のない地域では…(本当はやりようなのだが) 
 しかし、美術教育界では鑑賞教育の重要性が認識され、今後も充実発展されていくであろう。今年で4回目を迎える「鑑賞教育フォーラム」を見ても、新しい何かが生まれてくるに違いない。
 今後は、鑑賞教育の成果をどう広げていくか、美術教育研究のエネルギーの何割かを、普及活動や啓発活動に向ける必要があると強く感じている。その際、あらゆる校種や研究団体、美術館などの協力が欠かせない。このレポートでは鑑賞教育の普及活動に視点をあて、その取り組みと今後の展望を述べる。そのことはたくさんの子どもたちの感性や創造性を高めることにつながっていくはずだ。

これまでの鑑賞教育

 日本美術教育学会は2003年全国の小中学校の教員に「図画工作・美術における鑑賞学習指導についての調査」を行なった。この大規模調査によって授業は表現が中心であり、鑑賞教育が現場では積極的に行なわれていないということが明らかになった。また、中学校では免許外による授業が約3割という実態が浮き彫りになった。

 北海道夕張地区では二十年ほど前まで、鑑賞教育が大事にされていた。鑑賞を「純粋鑑賞」と「適応鑑賞」という考え方で取り組んでいた。「適応鑑賞」は表現方法を学ぶためのもの。「純粋鑑賞」は作品鑑賞のみを目的としたもの。このように鑑賞教育に対して明快な考えを持っていたが、残念ながらそれは今はない。実践者等の退職、美術教師の減少が原因のひとつである。実は、今,このようなことが国レベルで起こらないかと心配している。そうしないためにも教師のネットワークづくりは欠かせない。


さてかつて、私が、中心的に行ってきた鑑賞授業は、表現の参考にするための鑑賞である。
 主に、スライドプロジェクター、ビデオプロジェクター、あるいは画集で大量の作品を見せてきた。
 教師の「見せる、伝える」が主で、生徒の「見る、感じとる」は従であった。子どもの鑑賞の力も知らなかった。
 純粋な鑑賞の授業は、名画等の作品解説(文献)を参考に、それを噛みくだいて説明する、あるいは、作品について熱く語るというものであった。ビデオも見せた。美術文化の価値を生徒に伝えるということが主である。
 もちろん、生徒にも積極的に感想を聞き、発表も促すけれども、生徒の感想をいかしながら 最終的には教師の用意した説明に導く為のものであった。
 このような積み重ねが美術を愛好する心情を育てるものと考えていた。まず、美術作品が先にあって、その作品を大事にする国民を育てるといったらよいだろうか。
 右上は当時の自作の掲示物である。生徒に積極的な「見る」を促すためにつくったものである。が、作品の見方を限定してしまうという弱点もあるということに気がついた。
 こんな授業を聞いたことがある。授業で美術史をやる。テストに出題する。生徒が「感じる」のではなく教師が「理解させる、覚えさせる」。社会科?! 一口に鑑賞と言っても、大きな差が歴然とある。
「指導要領は読まない、教科書なんか使わない」と数学の教師が語ったら…。美術教師の甘さはないか。
 子どもの「学び」を考えていかないと、たとえば「対話による鑑賞教育」などはその意味を見いだせないであろう。小学校での「造形遊び」の誤解なども同様のことが言えよう。

鑑賞教育の今を知る

絶対数の少ない美術教育関係者にとってインターネットでの情報の共有はきわめて有効である。メーリングリストはもちろん、webサイトの活用も。2001年、福本謹一先生(兵庫教育大学)によって「Web AE 芸術と教育 鑑賞教育を考える」
が開設された。鑑賞教育についてどうあるべきかを考えるときに、たいへん貴重なサイトである。簡単に答えを求めるためのサイトではなく、タイトル通り「考える」ためのサイトである。美術教育界の様々な方が原稿を書かれており、まさに鑑賞教育の今を知り、自分の授業改善へのヒントとなった。

対話による鑑賞と出会う

旭川の庄子展弘先生がアメリア-アレナス氏や上野行一先生の著作から学び、対話型鑑賞の授業に取り組み、その成果を発表した。たぶん北海道では最初であろう。研究発表を巡って「その作品の価値を教えなくてよいのか」という意見が出つつも、鑑賞の授業で生徒が発した言葉の中に、深い読み取りがあると感じられ、対話による鑑賞教育に可能性を感じた。
2004年にブログ「美術と自然と教育と」を開設。2006年は特に「MITE! おかやま」の活気が伝わってきた。寄稿やコメントからも「対話による鑑賞」が、子どもに鑑賞の喜びを与えるものと確信した。アメリア・アレナス氏の来日をきっかけにメーリングリストzenzo-art(西尾隆一先生)、彩ネットなどからも情報が入り、自分の授業改善に役立った。 彼は、その鑑賞の言葉をすべて記録化していたため、たいへん貴重な資料となった。福本謹一先生に連絡すると、庄子先生の実践が公開された。これは私たちに元気を与えてくれた。

私にとっては庄子展弘先生の実践が「対話による鑑賞」とのはじめての出会いであった。その後、私も書籍等からも学びながら「対話による鑑賞」の授業の準備をすすめた。
 当時、私の勤務していた学校は指導困難校と言われた、すでに中学校1年生で授業が成立しない教科もあった。対話による鑑賞の考え方を取り入れた授業を試みた。
 フリーな発表は避けた。誰も発表しなかったらという不安(沈黙が怖い)から、先に発表順を決め、随時、自由な発表を取り入れて行くという方法である。自分が感じたことによい悪いはないということを話し、「ウケねらいはしない」なども強調した。授業のねらいを話した。
 同時に、私が開設しているブログ「美術と自然と教育と」を通して、発信と受信を繰り返す中、貴重な情報を得ている。『MITE!おかやま』などは最たる例である。

鑑賞を通して知った子どもの力

 「対話による鑑賞」でロダン「カレーの市民」に取り組んで驚いた。生徒が自分の感じたことを誠実に発表していた。
そして生徒は発表している自分たち自身に驚いていた。(鑑賞がおもしろい。人の考えを聞くのはおもしろい。自分のクラスでみんなが発言している!)
 カレーの市民を見て「まるで、これから死ぬみたい」という発言をきっかけに、一人一人考えていることが違うようだということを真剣なまなざしで発表しあっていた。「生徒はすごい!」と実感した場面であった。
 しかも、日頃生活行動面で多くの課題を持っていながら…。
 こんなこともあった。アンドリューワイエスの「クリスチーナの世界」で、最初に出た言葉は「セクシーポズ」。笑いが起こった。でも生徒を信じた。途中で手足が異様に細いことに気がついた生徒がいた、見方はガラリと変わっていった。生徒が互いに感想を発表しあう中で、生徒自身が「感じる感度」を広げ、高めているということを実感した。
「鑑賞は創造行為である」ということや「教室で学ぶことのよさ」が実感する場面が多くなった。
「対話による鑑賞」のよさを実感しはじめた。

鑑賞授業のよさを発信

 5年ほど前,大きな研究会や書籍では「対話による鑑賞」はごく普通のものと思えた。しかし身近な研究会ではあまり知られていないと実感した。
 ネットでは福本先生や旭川の先生のサイト以外では、情報があまりなかった。そこで、以前から開設していたwebサイト「豊かな美術教育を」でも発信をすることにした。一番知ってほしかったのが子どもの授業後の感想。これがきっかけで、「新聞の連載」の機会もあたえられた。鑑賞教育が中学生にとって、必要なものと感じていただきたいと思い、執筆した。

「読売新聞」06年5月15日

北海道の鑑賞授業

2008年夏「全道造形教育研究大会いしかり北広島大会」があった。この研究会をつくる側にあった。研究会の目的を以下のものとした。

「図工の指導はよくわからない」「どう教えるの?」という先生が意外と多かったり、中学校(特に北海道においては)では免許外による指導も多いという実態もあります。
さて、このような状況ですから、美術教育の研究団体として、教室で課題を抱えている先生方のために何かしなければならないと考えました。と同時に造形教育の持つ教育的な価値や魅力も伝えたいと考えました。そこで私たちは全道の先生に「図工美術の基礎が学べる研究会」と題した案内状を配付させていただくことにしました。
美術教育支援」それがこの研究会を開催する大きな目的のひとつです。


 旭川・上川が組織として鑑賞教育に取り組もうとしていたため、旭川の中島圭介先生に提言をお願いした。
 中島先生の言葉を以下に紹介したい。この言葉は実は日本各地で言えることではないかと思う。

「今後,教科書題材をクローズアップする必要があると考える。道内には700校程の中学校があるが,そのほとんどが小規模校である。

美術専門の教師は時数の関係から大規模校に集まっている実態がある。つまり,大規模校以外の中学校では,免許外で美術の授業を担当している多くの先生方がいる事実を受け止める必要がある。美術を専門としない先生が授業づくりで頼りにするのは,“教科書”である。
それならば,美術専門の私たちの役割は,教科書の題材について十分に教材研究をすることではないか。美術科として育てたい力を明確にし,免許外の先生方にも実践可能な価値のある授業プランを提供していくことが求められているのではないか。
また,全国各地の貴重な実践が凝縮され,多くの研究者,指導者,生徒の頭と手をくぐって出来上がってきた教科書題材は,美術を専門とする私たちが研究をするのに十分な価値があるものだと考える。
さらに,教科書題材を共同研究として取り組むことができれば,広く一般化を図ることができたり,美術教師の連携を深めることができる。研究する意識を共有することができるとお互いの資質向上にも役立つのは言うまでもない。
本提言は,初めて旭川市図工美術部会の鑑賞部会と上川造形教育研究会の鑑賞部会が教科書題材を共同研究で取り組んだ授業研究の実践事例である。

北海道立近代美術館との連携


2007年北海道立近代美術館と札幌市内の小中学校が連携した展覧会「BORN in HOKKAIDO」が開催された。その中の関連授業の中で、札幌の湯浅大吾先生は道立近代美術館から提供していただいた「道産子追想の巻(岩橋永遠)」の画像データを使って、レプリカをつくり授業をした。その後、児童たちは美術館で本物に対面して、大きな感動を得た。
 扱った題材(北海道の人と自然が描かれている)と複製画を使用するという方法は、地方でも実践可能なすぐれた提案であった。

私の授業改善

 私の対話による鑑賞授業では導入場面「画面上の観察」の段階では、機械的な順序で発表という形でやってきた。そのあとは、自由に発表しあう、途切れたら、また機械的に、という繰り返し。こんなやり方でも、仲間と共に見ることで、生徒の感じ方は広がり、深まっていく。これだけでも、今までの鑑賞授業とは明らかに違う。ただし、やはり本来の対話による鑑賞の主体的な雰囲気と比べると弱い。そんな反省から以下のような授業をした。

「対話による鑑賞授業」2008年12月千歳市立北斗中学校 授業 山崎正明

授業の概要 
 1クラスを半分にわけて行った鑑賞の授業(参加生徒16人)。残り半分の生徒は美術室で表現活動。必修教科美術では「風神雷神屏風」を鑑賞している。一クラス35名程度では人数的に多いことによる難しさもある。少ない人数で実施する試み。

授業の導入:画面上の観察

T.さ、じゃあ、何が描かれているでしょう?小人数なのでリラックスしている。作品の見せ方はやはり問題が多かった。しかし、共に見るという実感がある。 「風神雷神」よりも反応がよい。それは画面構成がより複雑でいろいろなものが描かれていることで意味生成をしやすいのだろう。思春期の子どもに向いている絵、そんな絵をさがしてみたいと思った。 この授業は楽しかったようで、何人かで昼休み鑑賞をしたほど。
C.木。
T.木ですね。
C.草。
C.鳥。
T.鳥分かる?みんな見つけた、大丈夫?これだけじゃない、他に何かいる?
C.秋。
T.そうだね。秋が描かれている。
C.冬。
T.冬?冬じゃないか。
C.秋でしょう。(ざわめく)だってさ。霧。
T.霧?秋、冬、霧。
C.霧っていうか地面浮いてね?
C.確かに。
T.地面が浮いてる。浮いてる?

授業の中盤:描写や画面構成の工夫の発見、描かれたものの象徴性

C.えっと、その緑の木を最初はメインにして描こうと思って描いたと思うんですけど、そしたら右側に鳥がいてなんかバランスが悪くなって、すごい右側の下の落ち葉とか多くして、木も、木の色も濃くとかしたりして、すごいバランスがとれてると思いました。
T.ほう、バランスね。ここをね。強いとこと弱いとこと詳しく説明してくれたよね、それって絵の上でバランスとってるんじゃないか。めっちゃ面白い。どうぞ。
C.えー、人の気持ちに例えるとなんか、失恋した後になんか恋が芽生えて緑色の木が生えてきたときっていう感じ。
T.どう、今の解釈?
C.冬説、秋説、恋愛説。
T.これが芽生えね。失恋のあとのなんか。後ろは失恋でこれは芽生えね。希望ね。希望の木。作者は描きたかった。実は。この緑の。なるほどね。おもしろい。

授業の終盤:画面全体についての象徴的解釈→主題の探究

C.えっと、うしろにいくほど木が傷ついてて、前のほうが緑で、新しいし、たぶんその緑の木は大人になるような木に生長するから、まだできたばっかりで。その前がわに小鳥がいるから前に行くほど生まれたばかり。
T.どうよ。そうなってるなあ。これ細い。後ろの木は古いんじゃないか。面白い。なんて面白いんだ。
C.えっと、この緑の木はこれは夏を表わしていて、この全体は夏が終わった後の秋とかそんな感じで、鳥は夏を恋しく思っているから、またそのなんていうんですか、来年の夏を待ち遠しい。 

実践をふりかえって
 中学校では他教科において、このようなスタイルをあまりとっていないことから難しさもあるが、1学級を二つにわけて実施するのも、よい方法と思った。 TTの変形。学級の半分は表現活動。
 このような授業で子どもの学びが深まかどうか、それは教師が本気で子どもの力を信じることが前提である。そういうスタンスにたったときに、子どもの「見る、考える、話す」が、実のあるものになると感じる。

「対話…」以外の方法

画集を活用する。

 子どもたちには生涯を通して美術に親しんでほしいと考えたとき「画集」の活用はきわめて有効と思う。美術館で「本物」という環境は最高ではあるが…。世の中には素晴らしい、わくわくするようなものがたくさんあるということをもっともっと伝えたい。子どもと作品の出会いから感動を生み出す。感じる感度を高める。教師の仕事は、そのような機会をつくることでもある。
 「若いうちに、とにかく、いいものに触れておけよー」
 「好きな作品に出会えたら、それは幸せなこと。」
 画集を使った鑑賞授業をした。授業前半で、1冊の画集をじっくりと見、後半は画集の中から1点を選んだ作品をハガキ大の画用紙に模写。画用紙に作品を鑑賞しての感想を加える。交流。
 模写は「作品をじっくり見るため」ということを伝えると同時に感想は模写が終わってから書く。
 なお、この授業を充実させるためには「対話による鑑賞」などで絵を見ることのおもしろさを味わわせておきたい。
 これがあってこそ、この画集を使う授業が生きてくる。

複製絵画を飾る。

評価がともなうばかりが教育ではいし、すぐに効果が出るものだけが教育でもない。即効性のものもあれば遅効性のものもある。
授業で作品を見ていて「あれ、その絵どっかで見たことある」という生徒がいる。廊下に飾られているのだ。この「どこかで見たことある。」という感覚は対象に対して親近感をもたらす。
もちろん、廊下の絵を見ながら、感想を言いあったりする姿もある。これが何よりうれしい。

表現とつなげる(つながる)

「かく、つくる、みる」を密接につなげながら子どもに確かな力や豊かな心を育てていきたい。
表現活動の導入での鑑賞。表現過程での鑑賞。表現を終えての鑑賞。
これは、実に様々な方法が行なわれていると思う。

鑑賞教育の普及活動

 2008年2月「美術による学び研究会」が発足した。美術教育そのものを「学び」という視点から研究していこうとする会である。この視点から「対話による鑑賞」などをとらえてみると、鑑賞における意味生成の価値が見えてくるようになるだろう。 

 さて、会の代表である上野行一先生が、これまでの研究成果をもとに「対話による鑑賞教育(光村図書)」を刊行した。この意味は大きい。「鑑賞教育の普及活動」である。
このガイドブックは短時間で読めて非常にわかりやすく出来ている。

 私もこれをもとに授業をし、さらには自分の地域で上野行一先生の講演会を開催した。参加者で「対話による鑑賞」に取り組んでいる教師はわずかであった。まさに、これからである。

この研修会のあと、このガイドブックをもとに、岩崎愛彦先生(千歳小学校)が小学校4年生を対象に授業を公開。
 参観者に「対話による鑑賞」が共感を持って迎え入れられた。
 直後DVDブック「モナリザは怒っている!?(淡光社)」が刊行された。札幌の森實祐里先生の充実した授業とともに詳しい解説があるため、非常に勉強になる。このDVDを見ながら、教師どうしの話し合いも有効である。

 私の学校で他教科の教師に見せたところ非常に興味を持った。これは美術にとどまらず、教育として本質的に優れて面があるからである。
 なお、この「モナリザは怒っている!?」には、収録された授業に対する改善点も示されている。これもいい。この本は鑑賞教育、美術教育にとどまらない。


今後の展望

「鑑賞教育」について研究を深め、発展させていく一方で、その成果を広めていくのは急務である。
この価値が広く認識してもらえる「普及・啓発活動」が必要である。
 次の指導要領改定前、数年前になって取り組みだしても遅い。例えば以下のような取り組みはどうか。


1、各学校で

 (授業の充実が最重要課題であることが前提)

(1)校内環境をかえる

指導案はカラーで目をひくようにした。同僚と対話による鑑賞もした。鑑賞は楽しい。授業を見たら、子どもに礼状を出す。そのことが、子どもに喜びを与える。親にも伝わる。 研究授業を見たら、礼。校内に複製画を掲示する。10枚で1万円ほどで、立派なものが販売されている。これを購入。あとは掲示するだけ。中学校では各教科での授業にあわせてはりかえると効果的で、活動が支持される。これが日本全国、どこの中学校でも当たり前になれば、学校の雰囲気は変わるに違いない。

(2)子どもの身近に画集を

校内に画集や絵本を大量に置きたい。画集は、地域の方に呼びかけると寄付していただける可能性が高い。
日本美術教育学会が鑑賞教育の普及のための一貫としてつくった「鑑賞ガイドブック」は、私の学校では学級文庫として各学級に配備した。「朝の読書」などで、読んでいる姿も。
教育環境の構成は教師の大事な仕事である

(3)授業研究で鑑賞授業を


昨年、校内研で「対話による鑑賞」を行なった。指導案の「題材観」で他教科の教師への啓発的な内容も入れた。この授業後の話あいで、鑑賞教育の大切さ、そして学校教育の中で子どもにとっての「学び」について本質的な話がなされた。

2、美術館との連携

 美術館で行なう鑑賞と学校で行なう鑑賞、この違いを鮮明に打ち出したい。そうしなければ、美術教育は社会教育でどうぞ、ということになりかねない。
 また、美術館や教育委員会などによる画像データの提供あるいはポストカードや複製画の学校への提供は、本当にありがたい。どんどん広がれば!
 かつて北海道でビデオ「北海道の彫刻」と「北海道の絵画」が全道の中学校に配布されたことがある。20分程度のこの作品では北海道の美術史を踏まえながら、全道各地の美術作品を紹介していた。美しい画像とわかりやすい解説から、使いやすいものであった。美術館にも興味を持つに違いない。美術館のない地域にこそ必要。(ビデオは、学芸員と美術教育研究会などと連携して低予算でつくれないか)
 それにもまして大事なのは普及活動や連携による成果についての共有である.(手元にある府中美術館の「学校向け美術館利用ガイド」など、すばらしい)
私は、個人的には「SoVa」「埼玉県立近代美術館」の教育普及の方法や「MITE!おかやま」の取り組みから多くを学んだ。全国造形教育連盟の中に「美術館との連携」に関する部門ができるので、そこがケーススタディとなろう。
 また国立近代美術館での「美術館を利用した鑑賞教育の充実のための指導者研修会」については、その成果がインターネットでも公開され入れている。画期的であり、非常に大事なことだろう。

3、美術教育界の活動

 研究会の研究は「深める」「つなげる」「広げる」ことなどがあろう。当然のことながら、よりよい教育をめざす「深める」は重要である。近年はメーリングリストなどによって多くの「知」が「つながる」ようになってきた。さらに、今回の「鑑賞教育フォーラム」や「美術による学び研究会」のように、地域や立場を超えたつながりが生まれている。
 しかし、まだ弱いのが「広げる」活動である。美術館に「教育普及」という言葉がある。実は「教育普及部門」をおかなければならないのは、美術教育研究団体ではないのか。免許外で美術を指導している教師は今後どんどん増える。 小学校で全ての教科を教える教師は図工より「学力」が優先課題?図工、」いや子どものよさや可能性に気づかないで終わる?
世論から「美術教育」は「とても大事」って声がおこるようなことをしなければならない。これが美術教育の「啓発活動」。つまり、美術教育の価値をご理解いただく。そのための知恵を出しあい、大きな流れをつくっていきましょう。