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更新日 2018-08-29 | 作成日 2018-07-27

第4回鑑賞教育フォーラム

鑑賞教育のための特別展について
長野県の美術館と学校の取り組みを巡って

三澤一実

(武蔵野美術大学)

日野陽子

(香川大学)

1.はじめに̶̶プロジェクトmite!への道程̶̶ 

 元ニューヨーク近代美術館教育部講師であったアメリア・アレナスが、1980年代当時フィリップ・ヤノワイン、アビゲイル・ハウゼンと共にVisual Thinking Curriculum(視覚的思考カリキュラム。以後VTC)を開発したことは、国内各地の美術館や学校にこれに基づく鑑賞法が普及浸透しつつある我が国では既知のことである。VTCは、美術その他の視覚的イメージを「見て」「考えて」、グループで「対話する」探求方法を通して、鑑賞者の思考力の発達を促そうとするものである。 
 アレナスは1995年に、この鑑賞法を日本に紹介し実践するための展覧会「なぜ、これがアートなの?」を水戸芸術館・豊田市美術館・川村記念美術館で開催した。会期中は、彼女自身がナビゲーターを務めて対話による鑑賞やセミナーを行ったり、地元の諸学校と連携して対話による鑑賞の授業が実施されたりした。これを契機に、以後少しずつ、各地の美術館や学校教育現場で、対話による美術鑑賞に関心が持たれ、実践が行われるようになった。
その後、アレナスと上野、奥村らは国内10美術館の所蔵品から、小学校中・高学年と中学校の授業で扱うに相応しい作品を選定し、ティーチャーズ・キット『mite!』全3巻を作成、2005年に発行した(淡交社刊)。
 MiteとはMethod for Interactive TEachingの略で、複数の鑑賞者相互の発話が影響し合いながら深まっていく学び、即ち対話による鑑賞教育を意味し、さらに日本語の「見て」の音と重ねられた言葉である。翌2006年夏には、『mite!』の協力館のひとつで、所蔵品が複数掲載されている岡山県立美術館で、対話による鑑賞のための特別展「mite!おかやま」が開催された。「mite!おかやまは、アレナス自身が当館所蔵の『mite!』掲載作品を中心に作品選定を行い、展示方法も考案、指導した。また、展覧会開催の数ヶ月前から、一般応募60余名のナビゲートスタッフの研修を行い、会期中はほぼ毎日彼らがナビゲートする鑑賞体験ツアーが行われたり、小・中学生対象の鑑賞ツアーや学校現場の先生方を対象とした研修プログラムも数多く実施されたりした。同年は私達の科学研究費プロジェクト「対話による意味生成的な美術鑑賞教育の開発」のスタートとも重なり、以後、各地の諸学校や美術館と連携しながらこの鑑賞教育の普及推進を諮っていく動きがプロジェクト「mite!」と呼ばれることとなった。 
 2007 年 3 月に千葉県の川村記念美術館で「mite! 見て! -- あなたと話してアートに近づく --」展が開催された後、長野県教委と県内多数の美術館が連携して鑑賞活動充実のためのプログラムを発足し、信濃美術館と東御市梅野記念絵画館で相次いで、アレナスを講師とした研修会を行い、二館総勢 100 名以上の教員、美術館関係者が参加した。
 これを契機として、2008 年に県内4会場で対話による鑑賞を中心とした鑑賞教育のための特別展を開催、巡回することとなり、県教委、県内小中学校を中心とした諸学校、多数の公私立美術館、大学なども参画して大規模な企画として動き出すこととなった。当発表では、この長野県での特別展開催にいたるまでの過程と取り組み、展開について報告、考察するものである。 

2.長野へのアプローチ 

(1)「夜明け前」・・・ 
 長野県教育委員会、県美術教育研究会、美術館を巻き込んだ鑑賞プログラムの開発の端緒はいくつもの個人的な繋がりの中から生まれてきた。初めに組織ありきという行政主導型ではなく、かといって行政的な組織を頼らない取り組みでもない。美術教育実践者と研究者、及び行政に関わる人々等々の思いと善意で繋がってきた取り組みであることが特筆できる。 
 2006 年 6 月、三澤は川越市美術館でアメリア・アレナスと市内の霞ヶ関北小学校 5年生と対話型鑑賞を実施した。当日、奥村、上野の科研メンバーや @MUSEUM の藤元も参加している。それまでのアレナスとの調整は @MUSEUM 藤元が行った。アレナスと子どもたちの対話型鑑賞は、観覧者も 30 人に絞り込んだこともあり、子どもたちの緊張もすぐにほぐれ実に充実した鑑賞のひとときを参加者に紹介することが出来た。 
 5 ヶ月後、長野県で全国造形教育連盟研究大会長野大会が信濃美術館を会場の一つとして開催された。全造連長野大会の研究授業に関しては東山魁夷の作品を鑑賞するプログラムであったが、前述のアレナスの対話型鑑賞と比較して、鑑賞スタイルは似ているが、教師主導のプログラムであり生徒のよさを十分に引き出す授業まで至っておらず、一部ではあるが、長野県の鑑賞教育の立ち後れを感じざるを 
えない状況であった。

 その年の年末、@MUSEUM 藤元よりアレナス来日に際し鑑賞プログラムを提供できるとの案会いが届く。そこで、長野県東御市梅野記念絵画館佐藤学芸員に連絡を入れてみた。東御市梅野記念絵画館は市立の小さな美術館であり単館での実施は難しく、信濃美術館との共同開催と言うことで話が進んでいく。学校関係者へのアプローチは橋本を通じて長野県美術教育研究会の寺島会長の協力を得て、県教委も巻き込み全県の教員を対象とした美術鑑賞研修会が 4 月 7 日、8 日に信濃美術館、梅野記念絵画館で開催さ 
れるに至った。 

(2)「それから」・・・ 
 信濃美術館で行われたアレナスの研修会は、は午前中小学生と、午後に中学生と対話型鑑賞が行われ、そのあと教員対象のレクチャーを実施。翌日の梅野記念絵画館は、市内 2 つの小学校の混成チームがアレナスとの鑑賞を楽しんだ。企画展開催中の作家木下晋氏も飛び入りで参加して大いに盛り上がった。午後には上野行一氏の講演とアレナスのレクチャーが行われた。両日合わせて 120 名を超える教員の参加があった。 
 両日の研修会で長野県の現場教員が鑑賞教育への具体的取り組み方法を欲していることと、その情報の少ないことが研修を通して明らかになり、同時に参加者の鑑賞教育への関心の高さを企画者側全員が感じることとなった。アレナスを囲んでの懇親会で、「mite! ながの」へ向けての夢が、その日の内に語られはじめていたのを記憶している。 
そして 2 日後、9 日には @MUSEUM 藤元と電話で「mite! ながの」に向けての話し合いを始めている。 
このアレナスを呼んでの研修会が、長野県の美術館関係者や教育関係者に与えた効果は大きく具体的な動きとして即現れ始めた。以下に会議の記録を記載する。 

<第 1 回『miteながの!(仮称)』編集会議 07.6.23 >
 信濃美術館が事務局となり長野県民文化会館で開催。 
 事業の確認(ティーチャーズキットの作成、研修の実施、展覧会の開催) 組織図と、今後の流れ、及び役割分担について討議。 
 実行委員会の立ち上げ (開催館 県美研 科学研究費助成研究会 アメリア・アレナス 淡交社)事務局は長野県信濃美術館とする。実行委員長に橋本光明 副委員長に上野行一が選出される。 

<第 2 回『miteながの!(仮称)』編集会議の開催 07.10.13 >
 長野県信濃美術館本館 3 階講堂 
 長野県版ティーチャーズキットについて確認(作品選定、仕様、制作までのフローチ 
 ャート) 
 展覧会について(会期、内容) 
 ガイドボランティアの育成について(研修会の開催) 
 業務の分担確認 
 事業費について(助成金等) 
 その他(本事業の基盤確認) 

<臨時実行委員会打ち合わせ 07.12.02 >
 都内都ホテルロビーで 
 進捗状況の報告 
 今後の事業について(規模の縮小へ) 

<臨時実行委員会打ち合わせ 08.05.09 >
 文部科学省会議室にて(科研会議として) 
 今後の事業のあり方について 

 以上、実行委員会は 2 回、臨時会議を 2 回実施。日々の細かなやりとりはメールにて行う。会議については実行委員会としての実質予算はなく、交通費等の経費については各所属組織内での調整及び個人負担により支出された。

3.研修会 

 実行委員会では展覧会に向けて、指導者及び、ガイドボランティア育成のための研修会を計画し実施した。 
 長野県は東信、中信、南信、北信の 4 つの地区に分けられる。それぞれの地区が地理的に山や川に隔てられ、文化もそれぞれ少しづつ異なっている。今回研修会が 3 地区で行われたことは非常に意義深いことである。また、各研修会において、長野県教育委員会や長野県美術教育研究会、また所属する地区の研究会、美術館、大学が有機的に連携しつつ行われたことは長野県においては初の試みであった。また、鑑賞に対する幅広い考え方や手法を具体的に紹介できたことと、各館の実情やコレクションの特徴を生かした研修会していったことも特筆できよう。 

(1)第1回研修会・鑑賞教育の意義 - アートカードを使って 

 第 1 回研修会は 2007 年 9 月 1 日に科研メンバーの奥村高明を講師に信濃美術館で開催された。受講者は県内学校教員 40 名、大学関係者 2 名、一般 3 名、美術館学芸員7 名、信州大学大学院生 8 名の合計 60 名である。 
 内容は、鑑賞行為の意味を奥村が「子どもの鑑賞とは」「学校と美術館との関係」「美術館を活用した事例」についてレクチャーし、そのあとグループになってアートカード (絵はがき)による鑑賞活動の演習を行った。全体の流れと具体的内容は以下である。 
1 宮崎県美のアートカードの紹介。言葉カードにかかれた言葉に合うカードを探すマッチングゲームを行う。プレイヤーは、メンバーの要請に応じてカードを提示した理由を説明する。 
2 カードを使った対戦ゲーム。提示されたカードと手持ちのカードに造形的な共通要素を見出し手持ちの札を捨てていくゲーム。提示されたカードと捨てられたカードに共通する造形要素が認められるか認められないかグループで判断していく。 
3 カードを使った美術館。一人一人がテーマを設定し自分の企画展を計画する。展覧会名を付ける。 

 1~3の各演習が終わるごとに、それぞれの活動のまとめを奥村がスライドレクチャーした。各ゲームの持つ意味や教育的効果、進行上の問題点などを説明する。その場で行われた参加者の発言などを取り入れながらスライドで解説が進められた。参加者は,楽しみながら自身の鑑賞が深まっていった体験とその理論的な背景を結びつけながら、 アートカードによる鑑賞活動の面白さ、教育効果について理解していった。鑑賞により、
自ら意味を生成していく行為を通して「鑑賞は創造的な行為」という奥村の言葉の意味 を納得していったようだ。各グループでは、当初緊張していたメンバーがゲームを通して和やかに且つ積極的に変化していった。このアートカードによるゲームは相互のコミュニケーションを潤滑に促す働きもあることが見て取れた。 

(2)第2回研修会・対話型鑑賞の実践 

 当研修会は、2008年1月13日、信濃美術館で科研メンバーの上野行一を講師として開催された。受講者は小学校教員20 名、中学校教員17名、高等学校教員3名、県教育センター 1名、美術館関係9名、信州大学学生10名、他県教育事務所1名の、総勢61名であった。 
 内容は、対話による鑑賞についての上野のレクチャーの後、受講者が自ら模擬授業を行ったり、また他の受講者による授業を受けたりするかたちで進行した。具体的には、下記の順序で展開された。

1 受講者が、7~8名で構成されるグループA~Hに配属される。各グループに一点ずつ、絵画作品のパネルが準備されている。 
2 グループで話し合いながら、対話による鑑賞の授業をシミュレーションする。 
3 授業の流れを個人でまとめていく。 
4 A~Hのグループごとに、一人が教師となる。残りの人は、まとまって他グループの作品の前へ移動し、生徒になる。 
5 15分毎に教師役は交代する。グループの残りの人は、まとまってまた別の作品の前へ移動し、生徒となる。 
 セミナー終了後の感想には、「見ることを繰り返すことによって様々な視点に立っていろいろな見方をし、たくさん話せるようになった。」「模擬授業を行ったり、生徒役に 

なることで、子ども達の気持ちも理解しながら受講できた。これから現場で活用できる。」 
といった意見が多く見受けられた。対話による鑑賞は、その狙いや手法が或る程度確立された状態で日本に紹介、導入されているため、講義で理解することも有用であるが、他の美術教育教材と同様に、教師自身がその楽しさや難しさを実体験しながら各教育現場への応用の手がかりを掴むことが重要である。また、受講者自身の「見ることの楽しさ」や「楽しく鑑賞する」体験を通して、鑑賞活動を難しいものではなく肯定的なものとして子ども達に伝えたい思いが育まれたようだ。 

(3)第3回研修会・鑑賞・その原点に立ち返る~視覚世界を超えて対話の可能性を探る~ 
当研修会は、2008年2月 9日、安曇野市豊科近代美術館で科研メンバーの日野陽子を講師として開催された。受講者は小学校教員8名、中学校教員20名、高等学校教員1名、盲学校教員1名、県教育センター1名、美術館関係16名、計47名であった。 
 内容は、アレナスの対話による鑑賞法から少し離れて、受講者に「言葉による鑑賞」そのものの意味や可能性に気付いてもらうため、日野が数年来参加している、視覚に障がいがある人々と行う言葉による美術鑑賞の活動を紹介し、セミナーでは応用実践を行った。 
 視覚に障がいがある人々と行う言葉による美術鑑賞は、偶然にもアレナスが来日し対話による鑑賞法を紹介、普及し始めたのと同じ90年代半ばに、東京、名古屋、京都の市民グループの活動として始まった。視覚に障がいがある人々の「触れることが許可された立体作品だけでなく絵画も見たい」という願いと、言葉のコミュニケーションによって「見て」いくと何が起きるのか、という冒険として積極的な活動や協議が継続され、現在では3都市以外の地域にも少しずつ広がっている。レクチャーでは、こうした活動の模様を紹介すると同時に、これは見える人によるガイドや支援ではなく、見える人と見えない人とが共同でイメージを創っていく行為だということ̶̶言葉で語ることには、見える・見えないという条件を凌駕し、それぞれの立場を同じ感性の地平に導く 

力があること̶̶を述べた。この事実は、目が見える者にとっても、言葉による鑑賞とは、作品についての客観的情報を得て理解し「説明する」ということではなく、自分にはどのように見え、どのように感じられるのかを、「自分の言葉で」話し、また他者の「自分の言葉」に耳を傾け尊重し合うことだ、ということを知らしめてくれる。 
 午後のセミナーでは、グループに分かれ、一名がアイマスクをつけ作品を見えない状態にして、言葉による鑑賞を行った。狙いは、視覚に障がいがある人の疑似体験では全くなく、切実に言葉が必要な場面を設定することによって、どのようなコミュニケーションやイメージが生まれるのかを体験してもらうことである。具体的には下記の要領で行った。 

1)前日に美術館の所蔵品から、絵画と彫刻を 5 ~ 6 点ずつ会場に設置する。鑑賞時にアイマスクをつける人に予め作品が見えていてはいけないので、午前中のレクチャーの時間は全て白布で覆って見えない状態にしておく。 
2)各 5 ~ 6 名構成のグループ A ~ I に受講者を配属。 
3)グループの中の一人にアイマスクをつけてもらう。 
4)全グループのアイマスク役の人がアイマスクをつけたか確認した後、全ての作品の白布を取り、グループ毎に鑑賞を始める。 
5)各グループでは、見えていない人が一人いることを考慮しながら話し合い、鑑賞を深める。 
6)十分に話し合った後、アイマスクの人は見えているメンバーに自分の中に出来上がったイメージを話す。その後、アイマスクを取って作品を見、感想を述べてから、別の作品へ移動する。 
 グループ毎の鑑賞は賑やかに積極的な対話がなされていたが、会場であった豊科近代美術館は彫刻の所蔵品が多いため、彫刻作品の鑑賞の様子から気付く点が多かった。

アメリアの対話による鑑賞で指示されるように、作者や時代背景等について情報を与えず、またそうした内容に触れないで鑑賞を進めるとき、私達は「作品の中に入る」必要がある。つまり、表現内容に関わっていくわけであるが、彫刻の場合、これが極めて自然に行われていた。例えば、女性の頭像を鑑賞していたグループで、正面から見ていた人々が「良妻賢母風に見える。」と言ったところ、右側や右斜め前から見ていた人達が「生活の疲れを感じる。」と言い、そのうち各々が「ここから見たらそんな風に見える。」と言い出し、立ち位置を交代して見ると双方納得する場面があったり、やはり多様な意見が出て作品のイメージを掴みにくいグループが椅子を持ち出し、高位置にある立像の顔や頭の様子や表現を確かめたりしている様子も見受けられた。つまり、絵画の鑑賞で起きる意見の分散が、彫刻では空間を巡って鑑賞できることにより、認め合い共有する道筋を掴みやすくしているように察せられた。 
 また、アイマスクを付けた人がマスクを外し作品を目にした時の驚愕の声や表情があちこちで起きる度、目で見るということ、それを言葉で表現すること、イメージをつくること、それぞれの行為がどのようなものであり、どのようにつながり合うのか或いは つながり合わないのか、を目の当たりにした。アイマスクをつけていた人の中でつくられたイメージは、マスクを外して見た作品と必ずしも一致していなければならないわけではない。言葉による鑑賞とは、イメージの多様性をこそ生み出すものであり、それは、私達に「美術作品を見るとは目で見ることなのか」という、究極の問いを投げかけるものである。 
 後日、当研修に参加した次期展覧会場である東御市梅野記念絵画館・ふれあい館の佐藤聡史学芸員が、上田市の障害者支援センターから、視覚障害がある人と行う美術鑑賞についての提案を依頼され、2008 年 9 月に講演とこのアイマスク鑑賞を実施した。佐藤学芸員からの報告によると、参加者は、視覚に障害がある人 2 名、福祉系専門学校生 7 名、市民 3 名であった。視覚に障害がある人々と行う言葉による美術鑑賞について、要点として「単なる支援やガイドではなく、見える人も見えない人も共に美術作品の視 

覚を超えた向こう側に入ることだ」ということを伝えていただいたところ、とりわけ視 
覚障害がある人々から意欲的な賛同の声が上がったということであった。さらに、佐藤 
学芸員は市民ボランティアの方々と共に、東御市内の 2 件の小学校で行われた社会福 
祉協議会によるアイマスク体験に鑑賞を導入した。こうした取り組みを契機として、そ 
の後、少しずつ梅野記念絵画館には視覚に障害のある人々が訪れ、鑑賞を楽しんで行く 
ようになっている。 
(4)第 4 回研修会「鑑賞・具体的授業展開とその成果~ 2 つの事例報告から~」 
 第 4 回研修会は、2008 年 3 月 1 日、東御市梅野記念絵画館で行われた。講師に滋 
賀県大津市立粟津中学人見和宏教諭、東御市田中小学校宮下聡教諭を招き具体的な学校 
での取り組みを事例紹介してもらった。参加者は一般 6 名、美術館 8 名、小学校教諭 8 名、 
中学校教諭 6 名、高等学校教諭 2 名、県教育委員会 1 名、大学 1 名、計 31 名の参加 
である。 
 最初に、長野県美術教育研究会の寺島頼利会長より参加者に向けての挨拶をいただい 
た。次ぎに、東御市立田中小学校の宮下聡教諭から対話型鑑賞の報告が行われた。 
 宮下教諭は、07 年 4 月にアメリア・アレナスギャラリートークを梅野記念絵画館で 
見学し、以後、梅野記念絵画館と連携しながら鑑賞活動の取り組みを実践している。 
 最初に、宮下教諭から「日頃目指していた、『一人一人が感じたことを交流し深めて 
いく』という授業にアレナスとの共通点を見出したから」と対話型鑑賞に取り組むよう 
になった経緯について説明があった。内容は、「対話型鑑賞を実施して~授業計画立案 
から反省点まで~」である。実際に行った授業実践をもとに、授業づくりの視点など具体的な説明があった。特に、対話型鑑賞で大切にしている教師の役割を「きく」「つなぐ」「もどす」の 3 つのキーワードとしとして示した。ビデオ撮りした実際の授業をもとに教師の役割と子どもの変化の様子を具体的に説明した報告には参加した小中学校の教師も興味を持っていた。 

 人見和宏教諭からは『生徒も教師も楽しめる鑑賞の授業づくり』の講演が行われた。
 人見教諭が日々の鑑賞授業で取り組んでいる内容や導入などの紹介の後、絵巻物の鑑賞について参加者が生徒になり実際に「『石山寺縁起絵巻』を読む」の模擬授業が行われた。授業展開は絵巻の一部分(物語の序盤)を取り上げ、「なにが描かれているか」、「どのように読むことが出来るか」、「その根拠は」という発問内容であった。参加者はグループになり絵巻を読み解いていく。そして同様に違う場面(物語の終盤)を読んでいく。 
特に終盤では具体的な発問がスライドで提示され、その発問の意味の解説があった。 発問は「人は何人いますか」(客観的事実の把握)「どの人が目立ちますか」(鑑賞者の主観)「その人を目立たせるための工夫は」(根拠となる造形要素、作者の意図の把握) である。参加者の多くは今まで絵巻物を鑑賞した経験が無く、絵巻に描かれたストーリーを読み解いて聞く面白さに鑑賞活動への興味を深めていった。 

4. 展覧会「mite! ながの」から「美術館でおしゃべりしょっ」へ 

 今回の展覧会は当初「mite! ながの」の予定で進んでいた。岡山、千葉(川村記念美術館) に続く取り組みとして「mite! ながの」に発展していく予定であった。アメリア・アレナスによる作品選定、展覧会もアレナスの構成をもとに長野県中の美術館から作品を選び展示する企画である。また、展覧会会期中にアレナスによる指導者研修も予定していた。しかしながら、当初の計画より規模を縮小せざるを得なくなった。このことは後述する。 
 展覧会名は「mite! ながの」から今回の「美術館でおしゃべりしょっ」に変更となり、アレナスによる指導者研修は中止。展覧会自体はアレナスの作品選定のもと、作品は信濃美術館を中心として豊科近代美術館、東御市梅野記念館、ほか数館の作品と、アレナスから借用した作品展示となった。そして、上記の 3 館と椋鳩十記念館の巡回展として行われることとなった。

(1)展覧会で活用できる対話型鑑賞プログラムティーチャーズキット長野版 

 「mite! ながの」実行委員会の一つの取り組みとして「対話型鑑賞プログラムティーチャーズキット長野版」を作成した。実行委員会で長野県の子どもたちに必ず見せたい作品 15 点を選定し、その鑑賞プログラムを作成する。選定された 15 作品は縄文時代の土偶「縄文のビーナス」から、草間弥生の作品まで現代美術までバラエティーに富んでいる。 
 対話型鑑賞プログラムティーチャーズキット長野版の作成にあたっては、県内の小中学校 4 校に 15 作品を使った鑑賞授業を依頼しその様子をビデオ撮影してもらい、その映像を分析し授業づくりのプログラムを作成した。しかしながら、撮影されて映像は音声が聞き取りにくかったり、また、見たい場面が写っていなかったりして書き起こしと分析は非常に困難を極めた。ビデオ撮影は、子どもの視線から 1 台、教師の視線から 1 台、少なくとも 2 台は必要である。たとえば、「そこの青いところ」と指を指している子どもが、実際画面のどの部分を指しているのか判断がつかない。そのような中から、使える映像を数点選び出し、どの作品にも応用できるような子どもと教師の対話が成立している映像を参考に指導書を作成することとした。その指導書は、豊科近代美術館の展覧会開催日に向け作成し送付した。 
長野県選定の 15 作品は以下の通りである。 

(2)豊科での「美術館でおしゃべりしよっ」 

 開催から 20 日を経て 8 月 10 日に実際に豊科近代美術館を訪れてみた。真夏の真昼と言うこともあり観客は少なく少し寂しい気もしたが、美術館の三澤新弥学芸員に聞くと、観光地でありながら通過する観光客が多くいかに美術館に誘うかが課題であると言っていた。 
 地域との連携は本展覧会も契機となり徐々に進んできている。今回の企画も、研修会に参加した教師が、同僚を連れて来て対話型鑑賞についてその場でレクチャーしたり、地域の美術教育研究会が対話型鑑賞の研修会に利用するなど、地域の学校との繋がりが増えてきたという。また、婦人会や老人ホームなど福祉関係との繋がりも生まれてきた。 
学校利用も増えた。 
 三澤学芸員は今回の企画展に対し「実際に観客とトークをしていくと楽しかったと言ってもらえたりするのですが、キャプションがない展覧会なので不親切だとか、美術館でおしゃべりしながら見るなんて静かに見たい人のことも考えてくれというクレームも来ました」と話した。展覧会の主旨を理解してもらうには少し工夫が必要である。また、その改善策としてガイドボランティアの育成と充実は重視していかなければならない課題である。 

(3)梅野記念絵画館での成果 

梅野記念絵画館ではボランティアを市の広報で募集した。結果 11 名の応募があった。佐藤学芸員によるとボランティアの研修はほとんど行えず、簡単な概略を説明してぶっつけ本番でやってもらったそうである。当初、ガイドボランティアは困惑したそうだが、お客を前にして開き直ってそれぞれのスタイルではじめたそうだ。結果、ボランティアの方々も日々観客と共に鑑賞を深める対話についてコツをつかんでいって最後は自信さえ感じられるようになった。と話している。 
以下、あるメーリングリストに投稿された佐藤学芸員の言葉である。 
 「はじめまして。長野県東御市(とうみ)の梅野記念絵画館、佐藤です。10月中旬から1カ月、対話型鑑賞に特化した展覧会「美術館でおしゃべりしよっ展」を開催しました。昨年、長野にアメリア・アレナスを招いて研修会を開いたことが契機で、県信濃美術館、豊科近代美術館を巡回したものです。 
さて、当館は3館の中でもっとも学校利用が少なく地域への普及に課題を残した結果となりましたが、逆に他館ではない貴重な成果を得ることができました。それは「ボランティアガイド」の有志の皆さんです。市内外から11名が参加されました。「対話型鑑賞」に初めて出会った人ばかりの上、私の力量不足からほぼ事前の講習もなく、ぶっつけ本番で臨んでいただきました。ところが、皆さんが協力しあい、子どもたちとの対話のみならず、大人との対話にも素晴らしい実感を得ています。更に、対話型鑑賞を教育現場でもっと取り入れるべきであるとの、ボランティアの皆さんの意見は集約され、市長、教育長宛の提案書となりました。現在、全員の同意を確認しておりますが、近日中に提出いたします。わが市は小学校5校、中学校 2 校、高校1校とそれほど多くはありませんが、この提案により官民一体となって取り組んで行けることを夢みることができます。 
 余談ですが、本日も「アイマスク体験」の中で対話型鑑賞を取り入れました。視覚障害者との鑑賞については、香川大学の日野先生が取り組まれており、私などはまだまだですが、 
これもこのボランティアさんがいなければ到底私一人ではできませんでした。」 
この佐藤学芸員の言葉に今回の「mite! ながの」の成果と課題が集約されているように感じるのである。 

5.まとめにかえて - 問題点と課題- 

(1)なぜ「mite! ながの」から「美術館でおしゃべりしょっ」に変わったのか 

 今回の長野での取り組みは、教育委員会、県の教育研究会、複数の美術館、科研グループ、大学、民間企業まで巻き込んだ裾野の広い取り組みであった。しかしながらこのような大所帯となると自ずと機動力がそがれてしまう。今回もそれぞれが同じ方向を向きながら少しずつベクトルが異なっていったように思う。実行委員は県外のスタッフも多く頻繁に顔を合わせて意見交換することも出来ないまま主にメールでの意思伝達に頼らざるを得なかった。また、展覧会までの準備期間も足りず 1 年弱であった。また、一番の問題点は予算という壁であった。次年度予算は通常前年の秋に予算組をしなくてはならない。また、昨今の公立美術館の予算措置には厳しいものがあり、且つ、指定管理者制度によって運営されている美術館にとって費用対効果は常に突きつけられる問題である。予算が立てられなければどんなに素晴らしい企画でも実施が出来ない。 
 今回、事業の運営にあたって地域創造の助成金を視野に入れていたが、官民一体となった取り組みがその対象にはならないという結果が出た。急遽文化庁の芸術拠点形成事業の申請をしたが、対話型鑑賞の取り組みはすでに複数館で行われている取り組みで、先進的な芸術拠点形成のモデルとなる取り組みではないとの意見が付いた。よって、すでに計画の展覧会を実現するために事業内容を少し変更せざるをえなくなった。結果としてアメリア・アレナスによる展覧会期間中のレクチャーが消えた。ほかにも規模を縮 
小することを余儀なくされた。また助成の対象となる期間にも課題が残った。それは助成が決定する 6 月以降から年度内の事業が対象となる条件である。その結果、信濃美術館の企画展は文化庁の助成金ではなく自館の予算で行い、豊科近代美術館以降の巡回展は助成金で対応することとなる。 
 長野の取り組みはこのような様々な障害があり運営上決して満足するものとは言えないが、しかし結果として少なくとも新たな鑑賞教育のうねりを長野に芽生えさせたことは出来たのではないかと考えられる。そのうねりを生み出した要因はやはり様々な組織や団体、複数の美術館、大学、民間が県内外から多視点を持って関われたことが大きい。 
展覧会を核にしながら学校へのアプローチ、ボランティア育成の取り組みなど「mite!ながの」に向けて歩んできたそのプロセスは今まで繋がらなかった人と人とを結び、小さきながらも独自な、且つ多角的な鑑賞教育の動きを生みだしてきたと言えるのである。 
教育は成果が即出るものではない。この取り組みに関わった人々によって、明日からまた新たな挑戦が行われることを期待する。

(2)鑑賞教育そのものについての課題 

 プロジェクト mite! がスタートしてから、岡山、千葉(川村記念美術館)での対話による鑑賞のための特別展を経て、この度、長野県で極めて大きな組織規模の下、複数会場で長期にわたる取り組みが実施された。展覧会自体は「美術館でおしゃべりしよっ!」というテーマに見られるように、対話による鑑賞が中心となる企画であったが、事前研修や研修後の展開など全体の流れを改めて振り返ると、対話による鑑賞以外の鑑賞法の提案や、対話による鑑賞についても地元作品の採用や教育現場での応用、新たな視点からの再検討など、鑑賞教育そのものに大きな枠からアプローチする内容となっており、また、それが成果であったと思われる。 
 こうした長野県の動きは、学習指導要領の中で鑑賞教育が重視されるようになって久しく、また、昨平成 20 年公示の内容では「言語活動の促進」が明記され、一昔前まで手探り状態だった鑑賞教育の意味や方法に或る程度の道筋が見えてきた状況を表している。ただ、これは換言すれば、鑑賞教育が次の段階に入る必然をも同時に突きつけられる時代を迎えたということである。私達は長年、美術教育の中で、一方向的な知識技術の教授ではなく、個々の子ども達が自身の内側から自分の表現を生み出す力を育てるにはどうしたらよいか、ということを考え挑み続けてきたが、鑑賞教育のこれまでの模索期間も丁度それに該当する。従って、指導要領という制度に示され道筋が見え始めてきたからこそ、安心するのではなく、子ども達が本当に自分の力で作品を見、語り、他者との交流を通してさらに思考や感情を深めていくことができているのか、或いは、作品との出会いが人間の成長の上で長期的な視座から生かされていくようなものとなっているのかどうか、慎重さを持って一人一人の子どもと、その活動を巡る自分自身を含めた大人の動向を見つめていくことが、今後欠かしてはならない課題ではないだろうか。