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更新日 2018-08-29 | 作成日 2018-07-27

第4回鑑賞教育フォーラム

スペインにおける先行事例
「 mira! 」


 岩﨑 由紀夫 

大阪教育大学

はじめに

 ラ.カイシャ財団はスペイン・バルセロナで社会文化事業を行っており、ラ・カイシャ基金として位置付けている。当機関は、700点を越える現代美術作品の展覧会を殆ど無償で提供しており、「mira!」プロジェクトはその基本的な教育プロジェクトの一つである。

 本報告は、対話による意味生成的な美術鑑賞教育のスペインにおける先行事例として、ラ・カイシャ基金による2000〜2001年にかけてのアート・ラボラトリーの「mira!」プロジェクトの取り組みとその成果を実地調査をもとに作成したものである。

 アート・ラボラトリーは14年間で多くの教師達と連携する機会を設定してきた。その教師達は、カイシャ財団の文化センターが組織する活動の参加者である。
「mira!」は、アート・ラボラトリーのチームにおいて3年間、アメリア・アレナスの協力を得て達成することができた活動の成果である。これは、80年代半ばにニューヨーク近代美術館で開発されたVisual Thinking Curriculum (以下、VTC)に基づいている。
 VTCはその後いくつかの方面に別れ、またバリエーションがつくられた。これが世界中に広がっていった。その中で最近の活動は、旧ソビエト連邦諸国の数カ国で行われたものである。また、メキシコでDIAというプログラムを実施、さらに最近、日本でも新しいプロジェクト「mite!」が始まっていた。こうした活動を子ども達と共に体験して得られた結果は、認知的な分野だけでなく、社会的にも学術的にも際だったものとなっている。
 「mira!」は、これから数ヶ月間の活動のプログラムを展開していくための補助的役割を果たすガイドブックである。ここでは、このプロジェクトが基本的にどのような理念に基づいているかということ、そして、実際に毎週行わなければならない活動、セッションについてはどのようなオリエンテーションでやっていくべきか、皆さんの仕事を少し補強するためのいくつかのアドバイスおよび二十週間分に該当するスライドを添付している。責任者であるグロリア・ヴァイスはプロジェクトを発展のために「一つだけ守ってもらいたいのは、(方法に)忠実に、そして楽しんで行ってもらいたい」と述べている。

第1章 プログラムの基本理念


「学ぶためにアートをどう役立てるか?」をプログラムの基本的な理念をとし、アメリア・アレナスはプログラムで行ないたいことを次のようにまとめている。

①美術作品を見てそれについて話すということは、子どもにとって、物事を考えることを学ぶための理想的な契機になる。
 その理由として、私達は生まれたときから思考をし、それを少しずつ発達させている。
科学的な見地に立つと、私達がものを観察したり分類したりする能力から、その一連のメカニズムが現れ、思考というものが生まれてくるということである。実際のところ世界に対する私達の受け止め方は、非常に個人的なかたちでつくりあげられる。そのときの基になるのは、量的なもの、また、事物にどのような多様性があるか、自分たちの生活の中でそうしたものとどのように接してきたか、にかかってくる。その他にも、それらのことを心の中でどのように組織立てていくか、或いはお互いに関係付けていくか、といったことにもかかっている。これが、年を経るにつれてスムーズなプロセスになるのである。つまり、観察をすればするほど、アイデアをつくり上げていく可能性がひろがっていくということである。

②観察しているものについて話すことの有意義な点としてどのようなものがあるか、つまり、(子ども達は)どのようなものを描写していくか?
 どんなに語学が役に立つといっても、それが唯一の理知的なものというわけではない。もちろん、それが最も有用なものではあることは確かだが。(つまり、私達は言葉があるだから、子ども達に美術作品を見せ、それについて話すよう促したとき、彼らはただ、見たことに対して自分達が受けた感触だけについて語るのではなく、声に出して考えながらアイデアをつくりあげていくだけである。
 そして、もし、グループ活動をしたならば、子ども達は自分が話すだけでなく、他の子どもが話すのを聞くことができ、それを観察し、それによって、見ることと話すことと、自分で考えをまとめていく作業を個人的に参加しながら何回も繰り返すことができる。また、討議にも参加できる。そうすることによって、意味、感情などの微妙な差異を得ることができるようになる。この経験のひとつの結果として、次のことが言える。つまり、自分達の仲間が考えていることに対して、非常に関心を示すということである。これは、私達が強制するわけでもないのに、子ども達は自分のことばかりでなく、自然に良い方法で他者の考えを理解する習慣が身についてくるということである。

③なぜ、他のテーマではなく美術作品について話すのか?
 その理由は、或るもののイメージを描くということは、或るものについて書くということよりもずっと効果的だからである。例えば、水が一滴あるとする。それを描くということと、その水滴の写真を見るということとの間にはどのような違いがあるだろうか。どんなに現実に近いものであったとしても、写真は依然として写真にすぎない。触ったり匂いをかいだりできる実際のものと異なって、写真は視覚的な情報を出してくれるだけである。一般にこの情報は、視覚でとらえられる感覚的な次元までの情報を私達に与えてくれる。しかし、温度や質感や面積などについて、私達は知ることができない。ものを通じてそれを描くということは、常にそれを自分達で解釈するためのデータを得る基になるのである。
 換言すれば、描くということは、頭脳的な基本的可能性を活用するための助けになるということである。つまり、アート(美術)は、事物の世界を全体的に私達に提供してくれる。さらに、ものだけでなく、それがどのような状況にあるのか等、議論のためのあらゆるテーマを提供してくれる。そして、事物について話すという習慣をつけることは、子ども達が世界の多様な文化遺産の様子について親しむために非常に有効である。「美術を知る」とは美術作品を見て、自分がどのように感じるかを考えることなのである。

④これはどのように行うことができるのか?
 私達の提案は、一週間に約一時間程度、一連のスライドを見ながら、教師の司会の下で子ども達が議論をすることである。しかし、教師が今までやってきた伝統的な役割とは異なる。なぜなら、教師は一般に物事を説明して情報を提供する役割を果たしてきたので、子ども達の中に立って物事をコーディネートするというのは新しい役割なのである。この方法でしなければならない主なことは、一つだけである。聞く耳を持つこと、そして聞いたことについての討論が展開するのに役に立つような質問をしなければならない。

質問は、下記の二点にまとめることができる。

 
 2.「何を見てそう思いますか?」

 1.について言えば、これは「開かれた」質問で、子ども達は自分達の印象や即座に浮かんできた直感的なもの、見たものについて話す。それに対して2.では、子ども達が最初に得た印象について自然なかたちで考えるように、また、絵を見たときにそれをもう少し詳しく明細に検討させ、自分達が得た印象がどこに表されているかを探し、最終的にそういったことについて自分で意見を述べるように促す。
 私達が奨めているクラスの計画は、後でミーティングを持つことによって、どのようなことに基づいてさらに深く戦略を立てるべきか話す機会が出てくると思う。今のところ、この方法は私達の常識に基づいて行われること、また、私達の役割は常に、子ども達が自分達自身の結論に達することができるよう支援することである。そのためには、議論するときに誘導してはならないし、どのように進むとよいかを示してもいけない。 

⑤私達は何故「質問する」ということに配慮しなければならないのか?
 その解答は非常にシンプルである。この時点での芸術との接点(関係)について、(勿論彼らの生活の種々の要素にも依ってくるけれども)、子ども達は自分達の観察、解釈や同年代の他の子ども達が述べることを聞くことによって、ずっと多くを学び取る。つまり、私達が説明するよりも、子ども達自身の方がずっと自分の力で分かっていくということである。このプログラムでは、芸術的な技術(知識)情報を子ども達が獲得するということは考えていない。むしろ、言葉の使い方やものごとの色付け、分かち合う喜びといったものを体験させることの方が重要であると考えている。時が経つにつれて、子ども達も伝統的な感覚で芸術について学んでいくであろう。これは、常に芸術作品に接し、自分が見るということについて考える習慣を付けていくからである。最終的に、非常に豊富なビジュアルなレパートリーをつくることができ、芸術の中には異なったタイプのものがあり、また、様々な表現の方法があるということを学ぶのである。丁度その頃が、ルネッサンスとは何か、或いは版画とはどのようなものであるか、ピカソは何をしたか、といったことを学ぶのに理想的な時期である。これは、子ども達が丁度その頃から質問を始めるという時期でもある。しかし、その前段階では、アートというものはもう少し異なった意味での重要性がある。それはおとなの世界のものではなく、少しずつ自分の世界のものになり、学校生活の一部になり、そして頭脳的な遊びの一つになっていくからである。

第2章 目で考える-子ども達は美術作品の中に何を見るのだろうか?-

 子ども達が絵を見て話す内容の分析によると、子ども達が最初に口にすることは、私達が普通考えることと、同じことを述べることは殆どない。彼らの解答、特に初期のものは常に非常に驚くべき内容である。描かれているイメージがどのようなものであっても、非常に物語的で小さなストーリーをつくる傾向がある。そのようなことはない、といくら私達が言っても、子どもはそのようにするのである。例えば、ピート・モンドリアンの赤と黄と青の「コンポジション1」という極めて抽象的な作品の前にいる時でさえ、子ども達は「これは街の地図だ」とか「ステンドグラスがはまった色のついた窓だ」とか言う。
それでは、絵(イメージ)の外的な要素とどのような関係をつくるかということであるが、子ども達には、ストーリーを話すという自然な傾向があることから、自分の個人的な経験に最も近いようなことを題材にとりあげ、自分が知っていて経験したことがあるような状況を持ってくることが多い。つまり、主観的な感覚の取り方とは、常に、自分の経験と、自分が暮らしている環境や要素をどんどん取り入れていく。例えば、家族や学校やテレビなどである。その上、その時で感じていることを付け加えたりするのである。
 例えば、子ども達がルリ・パイムノフの「傷痍軍人」を見たとき、バルカン戦争の犠牲者のアルバノ・コソヴァレスのことを考えても、決しておかしいと思わない。ここで、誰でも確認できると思うが、テレビや映画の影響は非常に強く、ある何かのテーマ、について知っていることの大部分が映画か何かの広告からそれを理解しているのである。さまざまなトピックスやステレオタイプのものは、彼らの解釈を条件付ける。その典型的な例として、ギリシャ彫刻を前にして、一人の子どもが「それはローマのものだ。」と言ったことに対して、もう一人が「それは違うだろう。なぜなら、鼻がへし折れていないからね。僕は最近行った考古学博物館でローマの彫刻を見たけれど、それは鼻が欠けていた。この彫刻は鼻が欠けていないから、ローマの彫刻ではないだろう。」と、言うのである。子ども達は、画家自身やその表現技法(スタイル)について考えることも非常に少ない。その代わりに、自分達が知っていることに基づいて解釈していく。例えば、ヴァン・ゴッホの自画像の前で、力強いタッチ筆遣いを見て、或る子どもは「これは絨毯だ」と言った。私達が気付かないような赤い筆跡が、彼らにとっては非常に表情豊かなものになる。また、不思議に思わないでほしいことがある。例えば血が出ているのを見たとき、そこから殺人を考えたりもする。それから、見るもの全てに対して、個人的な感情移入が行われることがある。例えば宗教的な題材の絵や美術史上大変尊重されている作品が、私達の生徒の解釈によると、普通あり得ないような解釈となって、ずっと悲劇的で、精神的で、コミカルで、喜劇的なテーマに立ち替わることがある。例えば、ジャシ・リガウの「ルイ14世」の前で、違う時代の王様--変な人--がかつらをかぶりミニスカートと靴下をはいているという風に、ゲイのように見たとしても驚かない。また、中世の殉教の様子を描いたシンプルな絵画を見て次のような解釈をすることもある。何か喜劇のようなことの中でこれが実際に起きていると解釈しても決しておかしくない。

第3章「mira!」の作品について

 この中に含まれている作品は、まず非常に物語性があり、それによって多様なテーマについて議論を展開できる可能性を含ませている。
 また、極めて多様なスタイルの作品を含めている。今のところは未だ、子ども達がこのことにそれほど気付かなくても、こうした作品を見慣れておくことによって、もっと先になってからそれがどのような作品であるか分かるようになり、最終的にはそれが歴史の中でどのような位置付けにあるかをわかるようになるだろう。
 ここに納められている作品は、シンプルなテーマ、そして幅の広いテーマに整理されている(例えば、一人の人物が不可解な空間にずっと居る、或いは、二人の人物や家族がグループになっている)。シンプルで幅広いテーマの作品は、少しずつ複雑なものになっていくようになっている。それは、内容についても、技術的な面にも、スタイルについても言うことができる。そして、いわゆる感情的なものについて見てみると、個人的なものから徐々に社会的なものになっている。いくつかの作品は、子ども達に道徳的な価値が沢山含まれているテーマについて議論させるように促す内容である。今まで伝統的に持たれてきた偏見や意見について、子ども達が話し、問題視することができるようにするために、そうした作品を含んでいるのである。例えば、絵によっては、汚いものや悪いものについてどのように考えるべきかを考えさせるために入れてある(例えば、アーヴィング・ペンの「アンジェラ(天使)」)。或いは、黒人がいつも貧しいということについて(ジェームス・ヴァンデル・ズィーの「ハーレム」)、また、何か少し奇妙なこと−一般に女性がすると思われている仕事(家事や育児)を男性がしている−(セイドウ・ケイタ「無題」)といったテーマも含まれている。

第4章 授業の流れ

(1)始める前に

各々のセッションを始める前に、まず絵をよく見ておく。そして、これから子ども達の間でどのような議論が起きるかを考えておく。前もってこの練習をしておくと、子ども達から予想される価値観や偏見、意見を取り入れたり、導いたりしていくのに非常に有効である。また、出てきた意見を元に、どのように議論が展開するか進んでいくかも見ていくことができる。スライドはテキストと同じ順序に置くようにする。そのときに留意することは、細部にわたってよく見ることができる白いスクリーンに写すことである。
 スペースは非常に重要で、活動の基本的な条件になる。気持ちがよく、過ごしやすく、プロジェクションをするのに相応しい場所を探す。子ども達は、気持ちが良ければ良いほど、いろいろな話をする。そのために、クラスの中でスライドをなるべく見やすいようにする。ただ同時に、子ども達の反応も必ず見えるようにしておく。もしできれば、子ども達を半円形に座らせたい。そうすることによって、お互いに見ることができるようになる。また、作品が完全に見えるようにする。床に座らせることも悪いことではない。
 皆さんは、丁度、作品と子ども達の間に立ち、子ども達の反応がよく分かるようにする。子ども達の後ろ側に行くのは避ける。なぜなら、子ども達の顔の表情が見えないし、どうしても後ろを見るようになるので、それを避けるためである。

(2)セッションの展開

①まず、一番最初の絵を写す。
②少し時間をおいて、子ども達が静かに見られるようにする。これは重要なことである。なぜなら、子ども達が作品の細部まで見ることができるからである。作品をよく見て、よく考えるように促すことが必要である。
③いつも基本的な質問をする。
「今、ここで何が起きていますか?」
   「そのように考えるのはなぜですか?」
○その他にも、次のようなバリエーションを持たせた質問をしてもかまわない。
   「それだけしか見えない?」
   「どんなことを考えさせられた?」
   「これはどのようなことを言うのだろう?」
   「何か他のことが起きているように考える人はいる?」
  これらの質問の意図するところを話す。これは明確なことであるが、なるべく物語的な答えを得たいという意図がある。そしてそのときに、あまり隔離的な描写は避ける。子ども達がなるべくグローバルな話題をつくりあげ、絵の中の全ての要素を、彼らが話す物語の中に登場させたい。これらの質問は、よく見て、よく描写し、よく話し合って、いろいろな意見をつくることが目的となる。そのために、上から意見を押しつけるようなことは決してしないように留意する。例えば、次のような「女の人に見えない?」、「これは絵でしょ、ね?」、「この画家は何を言いたかったのかしら」といった質問は避ける。そして、もう一つ是非避けたい基本的なことは、情報を出すことである。例えば、作者の名前や作品の題なども含めて、情報は出さないでほしい。子ども達がそれをどうしても知りたがるときには、先の質問にもどる。「どんな風にこれをしたのだと思う?」とか「どんな題をつけたらいいと思う?」という質問を返すようにする。
 議論の基本は、順序立ててすることと、みんながそれを聞けるように環境を整えることである。例えば、誰かが意見を述べたいときは必ず手を挙げさせる、とか、自分が発言する番をきちんと待たせるといったことを子ども達によく言い聞かせるようにする。
 みなさんは、子ども達の発言を注意深く聞き、決してそれを否定しないようにする。もしそれが、たとえ全く理由立っていないときでも、それを否定しないようにする。意見をできるだけ述べさせ、それについて話し合うようにする。この方法の最も重要な点のひとつは、お互いによく聞き合う習慣をつけることである。もし、子ども達が仲間の発言をよく聞いていない時には、結局話している内容がつながらなくなったり、繰り返しになったりしてしまうことがある。また 一方、教師の側は、子ども達が基本的に言うべきことを思い出させること、また、それまでに出てきた考えをつなぎ合わせること、そしてまとめるようなかたちをとることが重要である。各々の作品を見せるときに、異なった議論、また長い議論が起きることも留意しておく。ただそのときに考慮しなければならないのは、大多数の子どもが退屈したり、いくつかのグループで話題がもう有意義ではなくなってきたときには、次の作品に進む。次のスライドに移る前に、それまでに話したことのまとめをするといい。最初の頃のセッションでは、みんなの意見をまとめるのはできれば教師がする。時間が経つにつれて、子ども達が自分達でまとめるように促していく。セッションごとに異なった子どもにその役目をさせる。グループの他の子ども達には、言い残したことがあれば、それを付け加えさせる。まとめ役の当番になった子どもは、いろいろな意見をまとめたり整理したり、仲間が言ったことを伝えたりすることによって、みんなの意見を注意深く聞き、考えるようになっていく。この方法は対話に基づいているが、子ども達の中には話したくない子もいるかもしれない。そのような場合には、黙っていることもそれはそれで価値があることととらえる。なぜなら、黙っている態度の中にも、非常に熱心に集中している様子を見て取ることができるかもしれないからである。話さない子どもが、必ずしも関心を持っていないとは限らない。

(3)授業の後で 

各セッションの終了後に大変重要なことは、活動中に観察した内容を必ず記録しておくことである。それによって、後で一連の質問シートをつくることができる。それについて、後で毎回、答えを入れていくことができる。特に、この作品に対するイメージの効果を評価するためには非常に重要なことである。それだけでなく、子ども達の変容や、この方法によってどのように能力が伸びているかを知るために重要である。時々、質問に含まれていないような情報を付けたいことがあるかもしれないが、その時には質問シートの欄外に書いてはどうでしょうか。
アート・ラボラトリーでは、約3ヶ月おきに、この実践の結果に関して共通に得たものについてまとめるために、集まるようにしている。この集まりの時に、前回つくった質問シートを渡すことができる。また一方で、協力者のメンバーからの訪問が二度ほどある。彼らはプログラムがどのように機能しているか、また、何か問題がある場合には、それに対応するために来るのである。最後に、この文書をコースの真ん中あたりで再度読み直してほしい。最初の頃には気付かなかったことやわからなかったことが解決するかもしれない。

第5章 教師と子どものための規則

(1)教師のための規則

・クラスは一週に一回行うこと。なるべくいつも同じ日にしたい。この方法の基本的事項を習慣的に行うことである。セッションとセッションの間にあまり長く時間をとらない。
・各々のレッスンが1セッションに該当し、4作品の絵がある。全作品について話し合う時間が無いことがあるかもしれない。もし望むなら、いくつかの作品を除くようにする。但し、スライドの順序だけは規定通りにする。
・子ども達の発言の全てを注意深く聞く。後で議論をまとめたり、つないだり、議論に関連した新たな質問をつくったりするときに不可欠になるからである。
・正しくない返答は無い、ということをよく覚えておく。始めの頃は、子ども達の話すこと全てが有効で、順序よく話せていればよい、ということにしておく。
・子どもによっては、すぐに話ができる子もいれば、なかなか話し出せない子もいる、ということを常に頭に置いておく。なるべく内気な子が参加するように、こちら側から働きかけることが重要である。内気な子に対しては、その子の意見をとても知りたいということを、質問を通じて分からせ、勇気づける。また一方で重要なことは、あまりに話しすぎる子を抑制することである。でなければ、話し合いが一人舞台になってしまうからである。
・子ども達が言いたいことを、できるだけ明確に言わせる。そうしなければ、自分の言いたいことが、グループの他の子ども達に通じないということが起きてくる。もし、不明確なことがあれば、それを分かりやすくなるように手助けするようにする。
・このプログラムの中で最も重要なことの一つは、語彙を豊かにさせること。そして、表現する技能を身につけさせることである。そのためには、言いたいことを正確に、そしてできるだけはっきりと言うように促す。そのためには、もう少し明確な表現をするように促す。その他にも、よく指でさして「あれが」「これが」と話したがる子どもがいるが、できるだけ言葉で話すようにさせる。つまり、他の子ども達にも分かるように言わせる。それがやりづらいようなら、その意味を教師の方から言ってあげてもよい。
・この方法は、子ども達に情報を与えるためのものではない。子ども達が絵について知りたいという興味を示し、もし教師の側に可能ならば、議論の中に投入するということができる。ただその場合にも、そのことだけを聞くようなことをせず、そうした内容はある程度会話が進んでから扱うようにする。

(2)生徒達の側の規則

 ・絵を見る時間は沈黙を守ること。
 ・発言したいときには、必ず挙手すること。
 ・大きな声ではっきりと話すこと。
 ・意見や主張は明確に説明すること。
 ・他者の発言をよく聞くこと。
 ・他者の意見を尊重すること。
 ※子ども達に活動のための規則を説明するときに、この内容はその度に繰り返し話す。

(3)もう一つの活動

 この方法に慣れてきた頃に、次のようなバリエーションを投入することができる。
①絵に題をつける
 いつもの話し方でコメントした後、それでは何かタイトルをつけてくださいという。
② グループに分けて検討させる
 例えば、クラスを4つの小グループに分けて、グループごとに一枚一枚異なる絵を渡す。それについて議論した後、各々のグループの代表が他のグループの前で、どのような話し合いがあったかということとまとめの説明をする。
③ 一つの絵についての解釈を発表させる
 例えば一枚のスライドを出して、1グループ5人くらいの小グループに分け、各グループが同時にそれぞれ議論をし、書記役の子が内容を記録する。その後、他のグループにそれを発表する。そのとき、各々のグループは、既に他のグループが話したことがあれば、それは線を引いて消す。最終的に、線を引いていないことだけが、未発表のアイデアとなる。そして、それについてみんなで議論する。
④絵について記述する
 2分くらいスライドを映す。その後、プロジェクタを消す。子ども達は自分が見たことについて書き留めなければならない。
⑤ストーリーを自分達で創って書く
 セッションが終わる少し前に、スライドを2分間映す。そして子ども達に、その絵について家で書いてきなさい、と言う。翌日、その絵の話から始めて、誰か一人の子どもに、書いてきたものを読ませる。その後、みんなでそれについて議論する。
⑥発表をする
 多様な発表の仕方があるが、これは教師の側の判断に任せる。重要なことは、絵を出すときに、子ども達が言ったコメントも必ず添えるということである。
⑦両親と一緒に「mira!」のセッションを行う
 自宅で子ども達が、教師の代わりに両親と絵について議論する。そのときには、いつもの質問を使う。みんな同じ絵を使うのがよい。そうすることによって、次回に両親のコメントもみんなで共有できるからである。それをするときに、学校で何か行事を行って、両親に参加してもらうということも考えられる。
⑧展覧会を見に行く
 コースの合間に、バルセロナのカイシャ財団の文化センターで行われている展覧会へ3回訪問することが望ましい。そこで、いつもクラスで行っているのと同じようなスタイルで、一連の作品について議論をする。同じ方法で、セッションを他の美術館、博物館、展示場で行うこともできる。

第6章 結果についてのレポート —「mira!」 2000〜2001プログラムの評価について—

 2002年4月にラカイシャ・アーツ・ラボラトリー財団より発表された結果についてのレポートをまとめると以下のようになる。

1.教室での活動の分析結果

 一番難しいことは、子ども達に、相互関係のプロセスを巧くのみこむ力が欠如していること——例えば、内容をまとめることや、他の子どもが話しているときには自分が話すのをやめること、グループとしての順序をきちんと守ることが子ども達にとって難しい。
 次に難しいのは、セッションをつくりあげることである。例えば、いつ(どのようなタイミングで)絵を替えるかということである。このように評価の主な結果は描写の様態・態度の様態・教育面から見ると以下のとおりである。
 (1)生徒達は、展示やミュージアムや作家の概念について精通 している。
 (2)ミュージアムとは、物事を学ぶための場所だと考えている。
 (3)アートは表現するために役立ち、技術的なものに占められていると定義する。
 (4)作家については、職業的なタームから定義している。

2.美的理解の発達−下記のようなプロセスが発生する。

  a.実際の絵の内容とは無関係な個人的な感性で把握している。
  b.絵の内容についての描写(発言)は徐々に細部に向いていく。
  c.絵についてのナレーション(発話)が生まれ、その後に論拠が確立される。
  d.社会的、倫理的なグループ議論はするが、芸術性についてはまれにしかしない。
  e.実際に体験するときに、平行した活動を行うと、時には審美的な関連が現れる。

3.認知能力の向上

 ・思考能力の向上(仮説の発生)がうかがえる。
 ・論理は一層整然と定義されていく。
 ・観察力が向上する。
 ・概念を関係づける力が育つ。
 ・だんだんと複雑な論拠を出すようになる。

4.活動的な学習プロセスへの支援

 ・社会的な相互作用を通じて学習が組み立てられていく。
 ・教師の動向は生徒の活動に添わせるようになる。
・ 教師と生徒の知識の均等化が全員の参加に良い影響を与える。

5.生徒の表現能力の向上
 ・生徒の言語表現能力が、二つの側面——単語と構文の面——で向上する。
 ・文をつくるときに慌ててつくる傾向がだんだんと減少してくる。
・ 或る言語(外国語)の習得を補強するためにこの方法が使われるときには、口語表現の向上は母国語の使用のケースと比べるとずっと際立っている。

6.自尊感情の発達にともなって

 ・大部分の場合、生徒全員の参加が達成できる。
 ・他者の意見を尊重するように教える。
・ 教室内でつくられたグループの役割が壊れてしまう(消えて行く)。

7.教師と生徒の関係の変化

 ・教室内の活動における革新的な性格の変化が評価されるが、新しい教師の役割はしば
  しばその適用時に紛糾を発生させる。
・ 多くの教育者はこれを或る目標として評価しているが、実際にはそれをよく消化しきれず、生徒との関係を変えることが難しい。
・ このプログラムは、生徒の個人的なリアリティにより接近させる。

8.公式的カリキュラムの目標の達成

 ・教師側としては、生徒の他の領域における思索と観察力の増加を認める。
・ この学習に最も関連しているのは、社会学、言語および視覚的表現、造形である。