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更新日 2018-08-29 | 作成日 2018-07-27

第3回美術鑑賞教育フォーラム 


いかに生徒の発言の痕跡を残すか

-板書を効果的に活用した対話による鑑賞授業の提案-

 

庄子 展弘

北海道旭川市立春光台中学校
教諭
 

 最初に

 

 鑑賞はたのしい。1枚の絵を目の前にして、じっくりと眺める。一人で見るよりも二人で見る方がさらにたのしい。その絵について語ってみたときに、自分の見方と、相手の見方が違うと、何で相手は「こう思ったんだろう?」と同時に「何で自分はこう思ったんだろう」と考えていく。そうすることで、絵についての理解も深まり、その見方や感じ方、味わいが深くなる。まるで、面白い映画を見た後に、盛り上がって語り合うように。 一人よりも二人、二人よりも三人と、みんなで見て語り合う方がたのしい。人と語りたくなる美術作品に出会えたときも全く同じである。絵や彫刻、不思議な現代アートなど、見たり、触ったり、感じたりしたときに語り合うのは基本的にたのしいことだ。
 

1 アレナス以前

 

 今ではアメリア=アレナスの対話型鑑賞が日本各地の学校の授業にかなり広まっており、私も実践するようになって5年目となる。しかし、それ以前はどうだったのだろう? 私が新卒として勤め始めたのは18年前。色の褪せたスライドが準備室にあり、そういえば大学では、スライド見ながら作品を見せながら解説してくれてたなあと思い出した。そんな解説しても中学生は面白くないだろうし、何かないかなと探すと、後は、鑑賞用掛図が年セットか。しかし、どう使えばいいのだろうか。その当時は鑑賞の授業をどう行えば良いのか皆目検討もつかなかった。とりあえず、テレビで放送された美術に関わる番組を録画して書かせるといったことしかできなかった。
 そんなとき見つけたのが、『「分析批評」による名画鑑賞の授業』(岩本康裕著、明治図書、1990年)である。11ページには、文部省教科調査官の西野範夫氏(当時)が(文部省内教育課程研究会監修・西野範夫編著『小学校新教育課程を読む・図画工作科の解説と展開』教育開発研究所)のなかで、平成元年改訂の学習指導要領の鑑賞の取り扱いについて、「表現の指導のためのものではなく、児童が思いのままに感じ味わう鑑賞」について指摘し、それに対して、筆者の答えが『「問え」ということである』という。
 概略としては、絵の中に描いてあるものを、物、人など分析的に全て見つけ出して、その共通基盤の上に、テーマに迫る発問を繰り返して、絞っていきながら、鑑賞を深めていくという授業である。確かに絵は写真と違って、描いたものは作者が必要だから描いたものである。写真の様に物理的にレンズを通って記録された画像とは違う。意味のある存在である。多少、誘導じみた感じがないわけではないが、目的とされたゴールに近づいていく。
 ピカソの『ゲルニカ』、ゴッホの『アルルの跳ね橋』、北斎の『神奈川沖浪裏』、シャガールの『彼女の周辺』など、有名な作品の例があり、当時の生徒達に対して、鑑賞の授業として取り組んでみた。まだ、当時はパソコンやビデオプロジェクターなどが発達していない時期であったので、図版は掛図か、教科書の画像である。掛図にない場合は、教科書の画像で良い物(画像が大きく、テーマに迫ることが出来そうな作品)があれば、絵の中に描いてあるものをあげさせて、自分なりに発問を考えてテーマに迫っていくように工夫して取り組んでみたものである。当時の教科書の見開きにあったワイエスの『1946の冬』(日本文教出版)や、その次の教科書だったと記憶しているが、ラーションの『最初の授業』(日本文教出版)である。
 いろいろな角度からテーマに迫る的確な発問で、あくまで教師の予想を超えない意見で、すんなりまとまっていくが、同時に、「これでいいのか?」という思いも沸き上がってくる。教材研究をするほどに、作品の解釈が様々でいろんな解釈が成り立つ。「学者もいろんな解釈があるんだから君たちももっと自由に感じていいんだよという言葉には説得力がない。」評価においても、どれだけテーマに迫ったかを観点にすると、別な視点から深く味わった生徒は救われない。
 そんなとき、一つの契機になったのが、2002年の旭川市教育研究会(地域の教職員が必ず加盟しなければならない地域の教育研究団体)の図工美術部の毎年恒例の公開研の授業者になったことである。当時は2年後の北海道造形教育研究大会の地元開催に向けて、研究テーマの検討の真っ最中であった。研究テーマはいざ知らず、とにかく鑑賞はこんなに面白くたのしいんだということをアピールしたくて取り組んでみた。題材は北斎の『神奈川沖浪裏』。中学3年生を対象に浪裏の富士や舟のない絵を渡して、OHPのシートに絵の足りない部分を想像させて描かせたり、結局この絵の主題は富士なのか波なのか、人なのか考えさせた。今思えば、ひじょうに拙い授業ではあったが、がんばった生徒達のおかげで、そのたのしそうな雰囲気は十分伝わったようである。そんなこともあり、翌年には2004年の北海道造形研究大会の鑑賞領域の授業者を引きうけることになった。
 

2 アレナスとの出あい

 

 研究テーマに合わせて、鑑賞の授業を新たに考えなければならない。今のままではまずい。気ばかり焦っていた頃に、人の薦めで『みる・かんがえる・はなす 鑑賞教育のヒント』の本に出合う。読み進むたびに、今までの悩みが解消出来る予感が見えてくる。そのときになって気づく。私はアレナスを知っている。そうだ、1999年、日本賞受賞のETVカルチャースペシャル。『最後の晩餐ニューヨークをゆく 〜僕たちが挑むレオナルドの謎〜』に出ていた人だ。あの衝撃的な番組。こんな授業がやりたいと思っていたあのギャラリートークその人だった。
 番組内容は、20年をかけて洗浄した最後の晩餐をNHKがデジタル画像として管制当時の色彩に復元し、原寸大のその画像を元にギャラリートークをするもの。後半は誰がユダなのかと問いかけてさらに絵を深く見つめていく。
 当時は、よくあんなにいろんな人の話をまとめていけるなと思ってみていたものだが、まさか自分がそんなことに挑戦しようとは夢にも思わなかった。
 

3 アレナスの対話式を授業化する

 

① はたして、話はまとまるのか。鑑賞の授業として成立するのか? とんでもない話にはならないのか。
 
 発問を最初にかっちり用意しておくそれまでの方法とは違い、話の出方によって、子ども達の話の中から詳しく聞くことが出来る。子ども達の発言にないことについては話題を触れない。とにかくその学級ごとに状況は変わるので、ふたを開けてみなければわからない。しかし、やってみると、予想外に広まりや、深まりがでてくる。生徒も結乗り気である。毎回が勝負だけれど、これはいけると決断できた。
 
② 板書の重要性
 生徒達は、作品と出合い、作品と対話する。そして、教師側から「何が起こったのか?」、「どうしてそう思ったのか?」と問いかけられて、自分の考えを述べていく。そこで他者(=友達)の考えを知り、自分の考えを深めていく(自己との対話)。最終的には、今日の授業を振り返り、鑑賞カードに、作品の解釈(主に客観的な説明部分)と、感想(主に主観的な感じや味わいなど)をまとめる。そのときに、授業全体を振り返られるように板書上に対話の痕跡を残すことは有効な手段である。言葉は消えてしまうが、書けば定着する。
 

 年  組 氏名          
 
○あなたはこの作品を見てどう受け止めましたか?この作品の解釈と感想をまとめてください。(この作品を見ていない人に説明できるような解釈と、自分がどう感じたかの感想も含めて)

 
 
※ 鑑賞カード
 
(1)対話式の最初から板書は重要であると考えて、最初は箇条書きしてみる。しかし、もっとわかりやすい改善が必要。授業の振り返り場面で概観が見渡せる様に。

 

 
(2)ファシリテーションマトリックス
 そこで考えたのが、ファシリテーションマトリックスである。下図を見ていただきたい。生徒の発言を黒板に板書するときに、その意味(価値)に応じて板書する位置を調整していく。最初の発言を基準として中央付近の高さに板書し、横軸は絵の中に描いてあるものの位置関係に対応させる。ワークショップに進行役としてのファシリテーターと座標軸としてのマトリックスを合わせた言葉。

 

 
 
(3)ファシリテーションマトリックスの問題点
 生徒達が、よい評価を得ようと、上の位置を目指す懸念が払拭できない。言いかえると評価を気にした発言をしてしまうのであれば、純粋に自分で感じたことや、友達の意見から自分の意見を変えたりすることがなくなってしまうのではないか。
 
(4)現在の形
 現在は、単純に絵の部位と黒板を連動させて、生徒の意見を単純に配置していく。意見同士の絡み合いを関連づけて板書していく方法。また、黒板右側には、作品のテーマや主題を各欄も設ける。(最終的にこの絵は何なのか? 主題やテーマも考えさせる)
 

突き詰めて考えてみるとどう思う?  

(5)今後の課題
 さらに板書を見易くするために、色分けするなど、改善していきたい。例えば、見てわかる客観的な要素については黄色、それらを元にした主観的要素については赤であるとか。
 

4 扱った題材

 
①シャガール『彼女の周辺』 
②北斎『神奈川沖浪裏』
③ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』
④神田日勝『室内風景』
⑤絹谷幸二『泪・泪・泪』
⑥エゴン=シーレ『ほおずきのある自画像』
⑦ゴッホ『自画像』
⑧ムンク『叫び』
⑨ワイエス『クリスティーナの世界』
⑩福田平八郎『雨』 
⑪ピカソ『ゲルニカ』
⑫岡本太郎『森の掟』
⑬徳岡神泉『刈田』
⑭キース=ヘリング『地下鉄アート』
⑮砂澤ビッキ『午前3時の玩具』(※ 彫刻作品を写真で)
板津邦夫『木の砦』(※ 校内に展示してある彫刻作品)
藤川叢三『冬』(※ 彫刻美術館からの短期間の移動展示)
⑱伝俵屋宗達『風神雷神図屏風』
 

5 成果
 

 子ども達は、さらに鑑賞をたのしむようになった。鑑賞の授業は、学期に1回、何の予告もなく実施する。美術室につくと、暗幕が閉まり、ビデオプロジェクターがついている。そのときの「やったー」の声。そして授業が終わった後の「またやりたい」という声。3年生になる頃には、さらに幅広い解釈が生まれ、何度も授業した作品でも新しい発見があったり、絵を見ることがすきということが伝わってくる。今の3年生が1学期の時に取り組んだ『クリスティーナの世界』では、授業の最後に「先生、本当はどうなんですか?」と尋ねてくる。3年生ともなると、単なる絵だけ、作品だけの世界から、作者の生き方や人物にも興味を広げて、さらに知りたくなる。そんな時にどこまで授業の中で話していいものなのか、また悩みが生まれる。
 

6 対話式の広がり

 
 旭川市教育研究会図工美術部の鑑賞部会では、対話を活かした鑑賞に柔軟に取り組んでいる。第一印象をカードに貼って黒板に貼ったり、グループ討議を取り組んだり、教師対生徒で対話に取り組んだり様々であり。その授業実践も広がっている。
 また、その特徴の一つとして、実物大もしくは実物に近いサイズの作品の鑑賞である。2003年には、長澤廬雪の『虎図』を実物大の襖に貼り付けて大きな虎が襖を開け閉めするたびに胴体が離れたりくっついたりする様子を実際に体験しながら鑑賞したり、⑱伝俵屋宗達『風神雷神図屏風』のように、実物大の屏風を市内で借用して、鑑賞の授業に取り組んだりもしている。特に、『風神雷神図屏風』では、教科書などに載っている平面の状態ではなく、あくまで屏風として折れ曲がっていることや、二曲一双であることから屏風同士の距離や位置関係を返ることで、感じ方が変わるかどうかについても試してみた。環境についても工夫し、暗幕を締め、揺らめくろうそくの火のなかで鑑賞することで、さらに味わい深い物なるように取り組んだ。旭川としては、小学校の鑑賞部会も動きだし、対話式ではないが、まずは授業で完成した作品をどう鑑賞していくかという、基本的なところからスタートしていく予定である。中学校においては、さらに対話を活用した実践を積み上げて、どの題材だと効果的な、広める題材や、深める題材を探っていければと考えている。そして、題材の目標を踏まえながら、作品についての情報をどこまで教えるべきなのかについても検討していきたい。
 

7 今後に向けて
 

 美術館で行われるギャラリートークをいかに学校で行うことができるか。美術館では本物の作品を用いることができる。学校では、掛図やプロジェクターの画像、等身大ぐらいであれば労力は伴うが実物大も可能。しかし、緒戦は複製品である。美術館では一過性の来館者であるのに、こちらは継続的に関わっていく子ども達、気心を知っている部分はこちらが有利だと思われる。ただ、学校教育である以上、評価をしなければならない。その違いを踏まえた上でどのように、鑑賞の授業として授業化するかというのが最初の課題であった。
 大きな美術館もなく、情報も少ないこんな日本の北の地方でも対話式の鑑賞に取り組んでいることを知って頂きたい。最初は、アレナスのギャラリートークを追いかけていたが、これからは、対話式の授業に取り組んでいる先進地域の一つとしてさらにがんばっていきたい。
 

8 最後に

 鑑賞において、子ども達に願うことは、作品に対して自分の見方ができるようになってほしいということ。美術館に行って、作品ラベルを見て、その作品を知った気になるのではなく、作品と向き合い、自分の中で、自分の中に作品の意味を作り出すこと。社会的、歴史的、美術史的な意味はあるかも知れないが、あるいはそれを踏まえた上で、自分の意味(価値)を作り出してほしい。これは、表現と同じ、さまざまな技法を踏まえた上で、自分にしかできないこだわりを活かした表現を目指して、自分にしかできない作品を作り出す。つまり表現でも鑑賞でも新しい価値をいかに作り出すか。それが大切だと思う。
 

9 資料
 
 対話による鑑賞「風神雷神図屏風」

生 徒:旭川市立春光台中学校 1〜3年(配当時間 1時間)
指導者:庄子 展弘

 

題材について
『風神雷神図屏風』伝 俵屋宗達鑑賞する。実物大の複製品であり、遮光した中ロウソクで揺らめく炎の中で出合うそれは当時の人々が思う風神雷神を思い起こさせることもできるだろう。日本家屋の中で役立つ屏風というものを理解した上で、いきいきとした一見神とは見えない風神雷神の姿を見ながら、これらは一体何者で、何をしているのか。そして題名を知った後に、どう思うのか。自由な発想を保障しつつ多様な思いを交流させたい。

 

 

準備物〜教師
・ 風神雷神図屏風の実物大の複製品(東光中・中島先生作成)・ろうそく・部屋は遮光・座って鑑賞・鑑賞カード
準備物〜生徒
・ 筆記用具

 
 

育みたい資質や能力
 

・作品に直に向き合いじっくり観察することにより作品の本質に迫ろうと判断し思考する力
・作品との対話、他者との対話、そして自分との対話を通して、作品に対して今、ここで自分なりの意味を生成する力
・他者の気づきや発言から、自分にない良さや、新たな視点に気づく力

 
【学習の流れ】
 
授業の最初は美術室前の廊下。まずは座ってスタート。美術室に入った瞬間から鑑賞はスタートするので、その心構えを話す。
 美術室は遮光して暗い状態。その中に写真のようにロウソクを灯して風神雷神の屏風が迎えてくれる。「見たことある」、「すげー」などその雰囲気に圧倒されながらの鑑賞が始まる。

 

 ひととおり眺め終わると、屏風の前に座らせる。
 「これ、見たことある人いますか? 見たことある人手を挙げてください」とクラスの3分の1から半数近くが手を挙げる。
 「では、題名を知っている人どれぐらいいますか?」
これについては多くても10人いるかどうか。
 「ところで、この折れ曲がったものなんだか知ってますか」と問いかける。
 「障子」、「仕切り」、「坊主が屏風に・・・」、「そう!屏風」などの声が上がる。
 「どこかで屏風を見たことある?」と聞くと、「うーん」、「女の子の家にはない?」、「あっ、ひな祭り」、「お内裏様とおひな様の後ろ」
 「何色だった?」
 「金色」、「赤」、「銀色」
 「本当は何色?」
 「金」
 「他に見たことない?」
 「一休さん」、「おじゃるまる」
 「最近結婚式に行った人いない?」
 「あー、新郎新婦のところにあった」
 「芸能人の婚約記者会見の後ろにもあるよね」
 
 ここで屏風の日常的な使われ方。昔の日本家屋での仕切りやついたてとして、着替えたり、寝ている人をお客さんに見えなくしたり、またお祝い事の席で雰囲気を変える役目を説明。美術品でもあるけれど、日常的な道具としても使われるものとしても話す。
 
 「さて、そこでこの屏風には2つの何かがいます。これらはそれぞれ何で、お互いに何をしているんでしょうか? みなさん考えてみましょう。」とスタートした。・・・・・
 
レーザーポインターで作品の部分を照らしながら、作品について生徒達が語っていく。
教師側は話を整理しながら、できるだけ意見交流できるように進行する。
これは、あるクラスの生徒の対話の様子
 
A:太鼓があるので、雷。もう一方が風。布で空気をふくらませている。こいつらは鬼。どっちが強いが競い合っている。ケンカ。仲が悪い。
B:太鼓。真ん中で待ち合わせしている。雷と風を起こすため。仲良し。下界に雷と風を送って喜んでいる。自分達の楽しみのため。
C:右の頭は大きな角に見えるけど地肌で小さな角がある。雷を鳴らすためには雨雲が必要。それを作って、風で送っている。手首と足首にわっかが二人ともある。おそろい。悪天候同盟。
D:天気の怪物。このほかに『雨』と『晴れ』もあるがその中で競い合って残ったのがこの雷と風。闘っている最中。
E:人間にとって雷はいらないけど、自然界には必要。この雷様は想像のもの。雷の方の雲があまり黒くない。雷雲は黒いので逆転している。実は風の方と雲を取り替えられて、口で言ってもらちがあかないので、これから取り返しに行こうとしている所。これから戦いに行こうとしている所。その直前のポーズ
 
 
ここで、『風神雷神図屏風』という題名と、400年前の江戸時代初期の作品と言うことを話す。その上で屏風を離してみる。

 

F:あっわかった。風神は真横(左側)を見て、雷神は斜め下(右下)を見て、どちらも遠くの下界の人間達の様子を見ている。
 
今度は左右逆に置いてみる。
 
D:かっこいい。
A:仲良く見える。一緒に見える。
B:背中合わせ。
D:下を見てる。
A:人間界を見ている。など
 

 

 
 
授業の発言からのピックアップです。この写真は最後に左右入れ替えて見せた場面。
 
神に見える
・へそを強調している。頭は地肌でかわいい角。腕と足首にマイナスイオンリング。つめが伸びている。自由な神様
・ダンベル持って筋トレ。強くなって龍を倒そうとしている。頭にわっか孫悟空。普通の神。右は悪い。後ろにウナギっぽいのがある。だから水の神。
・闘ってる。雷の神と風の神。雷は後ろにわっかがある。風は空気で布をふくらませている。雷は2本の角。風は1本の角。闘ってるのはお互いの向きから。角があるから鬼にも見えるが、神。
・立ってダイエット。食べてなくてイライラしている。荒らす。雲が赤っぽい。右は天使。リングの部分がある(頭の上の)。荒らしたのを直すもの。黒い煙は火を消した瞬間に出るから。歯がきれいだし。エンジェル。
・雷の神。と死神。口が裂けて、目がまん丸。デスノートの死神みたい。どっちが偉いが競っている。
・もやもやが雲で上空にいる。右の顔がふざけている感じなので、悪魔のよう。口のゆがみも。風の神。暇なので、悪戯しようとしている。人間界に雷と風をちょっと起こして楽しむ。
・永遠のライバル。最終決戦。風神が雷神に向かっているところ。雷神はまってる間にストレッチ。強さは同じぐらい。髪のなびきが風の強さを示す。風神。
・昔からの仲良し。何でも分かり合える存在。雲の上は操る。時空を超えて操る神様。これからすごい事を起こそうとしている最中。2人とも色は小汚いけども大きな力を持つ神様。人間には見えない不思議な存在。笑ってウキウキ。神秘的。
 
別のものに見える
・風呂上がりのおじさん。パラシュート(パラグライダー)に見える。獅子舞の顔。タオルを凍らせるおじさん。風、雲にのってる。緑はポケモンとか。
・昔の人はお化けを信じたので、雷の妖怪(お化け)と右は妖怪の仲間でいろんなものを袋に入れて攻撃する道具として使って、腐れ切った日本に制裁しに行くところ。悪い人を懲らしめる。座敷童のようないい妖怪。
・子どもです。ダンベルで鍛えている。緑の方を絵の具で塗った。その仕返しにバスタオルで拭いて行こうとするところ。ズボンがお下がりのゆるゆるで、脱げないように足をあんな風にしている。すでに脱げてへそが見えている。
・人間だけど悪魔。悪い人間の象徴として悪く書いている。豚みたい。右は奴隷。貧しくてカエルなどを食べているので緑。身分の違いを表現したもの。
・右側が鬼で、左はそれに近いもの。仲良しで会話している。「最近どう」みたいに。顔が鬼っぽい。口の大きさが。
 
動作から感じる
・黒い煙は戦いのオーラ。黒いのは悪だから。紐みたいになびいているのはのり?昆布?ビデオテープのようにひらひらしている。緑は歯がきれい。白は歯が汚い。
・左は豚みたい。耳の位置。右はライオンみたい。たてがみ。鬼ごっこ。
 
昔の人への想い
・何か楽しんでいる。口元が笑っているから。筋トレと縄跳び、この時代には縄がないのであんなもので縄跳びしている。時代は江戸時代? 緑の方は肩にわっかがある。特徴的なものを着ている。
・雷が怖いので、昔の人は雷が鳴っているとき上に何かあるんじゃないかと想像した絵。風も神。
 
逆にしたり離すと
・緑は顔がドラゴン。腹の脂肪がすごい。腕がすごい。白と緑は兄弟。左右逆にすると下に行こうとしている。
・別れる感じ。緑は生き生きしている。口の開きと、目の見開き具合。気合を入れて、何かしようとしている。右はそれほどでもないが少し、生き生きとしている。
・逆にすると、協力感が強まり、上に戻ろうとしている。
・ 離すと、逃げようとしている。
 
作品との出会い10分(作品との対話)。
 意見交流30分(他者との対話)。
 題名も知らせ、屏風を離して配置してみたり、左右逆にして配置してみたりしてのイメージの変化も聞いて 、ひととおり発表が終わり(まだ語り足りない部分もありましたが)、
「結局、この屏風には何が描いてあって何をしているのか、風神雷神という名前だけれども本当に神なのか」と問いかけます。
 最後の10分は最後にもう一度自分で考える場面(自己との対話)です。それまでのいろんな人の見方や意見などから突き詰めてこの作品は自分にとって何なのか文章化します。書く内容は作品についての説明(解釈)と自分の感想。
 5分では足りないのでたっぷり10分かけます。
 授業の中で発表していない生徒もハッとさせられるようなことを考えています。その感想を読みながらいつもながらワクワクと興奮します。
 全11クラス中3クラスの感想をピックアップしています。
 
【生徒の感想から】
 
1年1組
・雷神と風神が協力して雷と大風を起こしている様子を描いたような作品だと思った。私は、雷神と風神は鬼のような姿だと思ったけど、少し人間ぽい顔にも、見えた。これを描いた人は鬼を描こうと思ったのではなく、人間を描くつもりで描いたんじゃないかなと思った。私も雷がなってる時、大男がならしているような感じがすることがたまにあるから。人間を描いた後に耳などをつけて少し鬼っぽくしているような気がする。
 
・ この絵はきっと、偉い武将とかの後ろに置かれててて、「私は雷も風も見方にしているんだぞ、」みたいなのもあると思いました。そのため、家来としての輪とかが、手についているんだと思いました。雷神の頭とかにも。ひっくり返して見たときに、雲の流れが、同じになったので、最初はこの図だったんじゃないかなと思いました。神だとすれば、雷神は雷を下に落とそうとしてるから、下を向いていて、風は下にはやらないから横を向いていているので、悪いとか言い奴とかは関係なく、戦っているようにも見えませんでした。
 
2年1組
・ この二人は「雷」と「風」の神様で雲の上か(空から)人間界を観察しているんだと思いました。そして、人間が悪いことをしたら、(屏風を逆にして真ん中に寄せたみたいに)雲が一つにつながって、雨雲を布のようなもので寄せ集めて、その雲から雷神が雷を起こし、人間達に警告しているんではないかと思いました。だから、この二人はある時はライバルで、ある時は力を合わせる。そういう関係ではないのかなと思いました。
 
・ この絵は人間が恐れている雷と風の神である。普通の屏風なら一つにまとまっていると思う。じゃあ、何でこの屏風は二つに分かれているのだろうと私は考えた。この屏風は、どこかのお偉い様の注文である。そのお偉い様がこの二つの中央に座るのである。すると『オレにはこんなにスゲぇやつらがついてんだゾ。オレにさからったら・・・』みたいな感じで、誰も逆らうことができないのである。そう、この風神と雷神は守護神なのである。
 
3年1組
・ 雷の神様と風の神様が人間界にいたずらをしにきた様子だと思います。そのいたずらというのは人間にとっては恐怖であって、何人もの死者が出たものだと思います。いたずらだと思った理由は二人の顔がふざけている様な感じで口元がゆるんでいるからです。あと、二人の間が広いことから、二人は別々の場所でいたずらしているように思えます。片方の神様は全体的に色が濃くて片方は薄い色なのも印象的だと思いました。神様の壮大さが伝わってきました。
 
・ この作品は置き方によって印象が変わる。通常(最初)の置き方だと、雷神の視点から地上に雷を放とうとしていて、それを風神が面白そうに見ている感じがした。置き方を離してみると雷神と風神が戦っている感じがした。最後の置き方は二人が背を向けあっていることから二人は仲間のような感じがした。全体的に見ると雷神・風神の名前の通り雷を司る神と風を司る神で、悪い感じはしない。何となく表情などから雷神は大人で風神はこどもと思った。
 
【学習を振り返って】
 
 この対話式の鑑賞の授業はいかに生徒の声を拾い上げて、作品への多様な見方や思いを交流していくかが課題である。生徒の声をいい悪いではなく、全て認めていくとことで多様な思いを言いやすい雰囲気をつくりだし、お互いに認め会える環境を作る。その上で、さらに深い鑑賞に結びつくような教師側の働きかけをおこなっていく。
 今回は、東光中学校から実物大の『風神雷神図屏風』の複製品を借用しての鑑賞を行った。美術室を遮光して、ろうそくを灯して美術室に入った瞬間から鑑賞がスタートする。その作品との出会わせ方については成功で、授業の最初から作品の世界にしっかり入って生徒達が鑑賞することができたと思う。肝心の対話であるが、教師側の教え込みにならないように配慮しながら、あくまで生徒の気付きからの展開で、屏風に描かれた両者が何者で一体何をしているのかという最初の投げかけで意見交流をしながら作品について語り合っていった。
 最初は板書をしながら、発言をまとめていたが、窓側に置いた屏風との距離から、発言と板書に時間差がかなりできてしまい、板書による記録はあきらめ、手元の用紙に記録しながら対話を進めた。廊下で正座しながら心構えを話し、美術室に入ってきた生徒達の驚く姿はどのクラスも共通で、実物大の作品の効果の大きさを思い知る。ロウソクの効果もあり、必要以上に怖がる生徒も中にはいた。今回のポイントであった、屏風の配置を変えてみてのイメージを違いを見ることで、本来の位置での視線やポーズの意味をより深く見て考えることができたのではないかと思う。また、東光中から借りてきた関係で、全クラスで実施してみたものの、鑑賞の深さの学年の度合いの違いはあるが、どの学年でも扱える題材であることも分かった。小学5年生でも実施されているので、さらに低学年でもおこなえることも考えられるだろう。
 反省点は、あまりにも有名な作品であるので、目の前の作品からではなく風神雷神という題名から考えてしまう生徒がいたこと、対話の中でもっと余白の美や絵の外側(雷や風により被害を受ける人間や、自然観など)へ気づかせるような投げかけや導きをどこまでするべきなのか、しないべきなのかという課題が残った。