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更新日 2018-08-29 | 作成日 2018-07-27

「美術と教育を考える会」キックオフシンポジウム

2013年12月1日
場所 東京 泰明小学校 講堂

 「美術と教育を考える会」キックオフシンポジウム議事録    


日時 :  平成24年12月1日 午後3時半より5時半まで
場所 :  泰明小学校 講堂
参加者:  約 100名

プログラム

テーマ 「美術と教育を考える」
    登壇者が語る美術との関わり・鑑賞教育について

    司会進行      野呂洋子  氏 (銀座柳画廊)
内容 :ビデオ上映     ケン・ロビンソン~学校教育と創造性
    ご挨拶       樋口 昇  氏 (中央区立泰明小学校校長)
              堀 義人  氏 (グロービス経営大学院学長)
    シンポジウム登壇者 近藤誠一  氏 (文化庁長官)
              青柳正規  氏 (国立西洋美術館館長)
              山本豊津  氏 (東京画廊+BTAP
              高村弘志  氏 (中央区立泰明小学校主任教諭)
              上野行一  氏 (帝京科学大学こども学部児童教育学科教授)

樋口校長: 本日は「美術と教育を考える会」キックオフシンポジウムのご開催、おめでとうございます。また、本校にお越し頂きまして有難うございました。泰明小学校は今年で創立
134年を迎えました。建物は昭和4年の建物でございます。本校の特徴としましては、本日
お越し頂いている銀座の画廊の皆様のご協力いただきまして小学校3年生全員が画廊巡りをさせていただいております。地域に根差した活動を通して、子供たちの成長を見守っています。
本日のシンポジウムの内容が深まります事を祈願いたしまして、ご挨拶と代えさせて頂きます。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

司会 :  樋口先生、有難うございました。さて、それでは基調講演の代わりとしまして
ケン・ロビンソンのDVDを流させていただきます。「学校教育と創造性」というタイトルで
約20分の内容になっております。どうぞ、ご覧ください。
( DVD 視聴 下の画像をクリックされると当日視聴した映像をご覧いただけます。)

 人間の創造力というものははかりしれないものである。私たちは教育の現場で子供たちの創造性を壊してしまっているのではないか? これからの迎える人口爆発は教育という分野にも大きな影響を与えるものである。大学を卒業しても就職できない学生が世界中で増えている。これは大学を卒業する生徒が増えているだけでなく、世の中で求められる能力や、仕事をする上で必要な能力が、学校で身につける能力とずれてきているからではないだろうか?私たちは子供たちの創造性を認め伸ばしていくことが必要なのではないだろうか?

司会:それでは、本日の「美術と教育を考える会」の発足のきっかけを作っていただきました、グロービス代表の堀義人さんよりご挨拶を頂戴いたします。

堀 義人: みなさんこんにちは。グロービスの学長の堀でございます。グロービスは今から
20年前に三軒茶屋のアパートの一室で始まった学校です。今では、日本でトップクラスを誇る大学院にまで成長いたしました。
私はこれからの企業にはクリエイティビティが非常に重要になってくると感じています。これから科学技術が発展し、コンピューターが進歩することによって
定型的な業務はコンピューターやロボットに置き換わっていくだろうと思われます。私たちがやらなければいけないことは、人と人との関係性を結ぶこと。人間の感情を理解しながらコミュニケーションを構築することが私たちに求められる能力なのだと思います。そして、スティーブジョブスやビルゲイツといったクリエイティブな人材が世の中を作っていく時代になると思っています。これからの教育に必要とされているのがクリエイテビティを養う事だと思っています。ご紹介いただきましたとおり、私は5人の男の子を妻と一緒に育てています。彼らの教育において、クリエイティビティを養うために意識していることは、クリエイティブな活動をしている人に会わせること。良い絵画を始めとした芸術に数多く触れさせることを意識して、美術館に連れていくなどのことを息子たちにしています。これからの日本の社会においても多くの人がクリエイティビティの重要性を認識し、芸術に触れることで日本の社会が活性化することを祈念しまして私の冒頭のご挨拶とさせていただきます。

司会:それでは シンポジウムに移りたいと思います。本日は素晴らしい方々にご参加いただいております。それでは 順番に近藤長官より個人的に美術との関わりのご紹介も含めまして‘美術と教育’についてお話をいただければと思います。

近藤誠一 : 本日は素晴らしいテーマを設定して頂いたと思います。私からは今の日本に最も必要な、一人一人が持つ創造性をどのように育んでいくのかということをお話したいと思います。
個人的なことを申し上げると私自身は38年間外交官でした。役人ですからあまり創造性がない仕事をしてきたと思われています。しかし、皆さまの予想に反して外交という仕事は、人と人とのコミュニケーションであり、全く違う環境で育ってきた人たちとの間で交渉することですから創造性が重要な役割を持つ仕事で。私はこのことを実体験してまいりました。自分の持っている既成概念をもとに外交をしていたのでは相手を理解することができません。相手の持つ文化・歴史、育ってきた環境がその人の思考を作っているのですから、交渉相手である人間を理解するためには、自分のもつ枠を外して創造的に考えなければいけないという経験をしてまいりました。
今、私がその経験を踏まえて日本の文化庁長官という役職について感じていることは、日本の持つ文化、歴史が世界の中で正当に評価されていないのではないかという思いです。私たちの文化は不当に低い評価を与えられているのではないかと感じています。その一因は、組織が自分に与えられた枠を超えて仕事をすることを躊躇し、新しいことが始められないことにあるのではないかと思っています。今の日本社会に必要とされていることは、新しいことを始める勇気と実行力なのではないかと思います。それは、学校だけではなく、家庭においても職場においても、一人一人の創造性を生かすような社会の在り方を模索することが必要なのだと思います。たとえば家庭の子育てにおいても、良い学校に入って良い会社に入ることを目的とするのではなく、生きていくことがわくわくするような、子供の生き方や子供の人生を家庭がサポートするということが必要なのではないかと思っています。社会の価値観を変えていくこと、これを推進していきたいと思っています。

司会:素晴らしいメッセージを有難うございました。本日のシンポジウムの参加者は多くの教育関係者と美術館の学芸員の方にいらしていただいています。影響力の大きい方々からのメッセージとなってまいりますので、是非、現場の方に向けて力強いメッセージを頂ければと思っています。青柳館長、宜しくお願いいたします。

青柳正規 : 先ほどのケン・ロビンソンのビデオには2つか3つの間違いがありました。まず、住んでいる場所の表現が違いましたね。私は32年間、教授という仕事をしてまいりました。
ケン・ロビンソンが言うように体は頭を運ぶ乗り物だとは思っておりませんでした。頭と体のバランスをとることが非常に重要であると感じておりました。身体能力というのは、運動選手のような能力ではなくて、自分の身体能力のバランスをとることが自分の研究を進める上で重要であることを認識しておりました。ですから、頭と体を分けて考えることは決してありませんでした。さらに最後にダンサーのお話がでておりましたが、彼は学校教育を否定しておりましたが、そのダンサーもダンスの学校にいっているのです。もし、本当にクリエイテイビテイがあるのであれば学校にも行く必要がなかったはずです。ですから、私が申し上げたいのはケン・ロビンソンが言うようなクリエイティビテイというものは、そう表面的なものではなく非常に難しいものであることが皆さんもおわかりになったと思います。それでは、クリエイティビテイの定義ですが、簡単に申しますと今までに誰もやっていないこと、誰もやっていなことをやることがクリエイティビテイといいます。しかし、人類の歴史は石器時代より何万年もあり、すでに人類がやってきたことでクリエイテイブなことはほとんど残されていないのではないだろうかという議論もございます。ですからおかしなクリエイティビティも出てまいります。
美術の世界は3つの要素でできていると考えられています。一つはクリエイティビティ。そしてもうひとつは作品に込められた主張するメッセージです。そしてもうひとつは質です。クオリティ。この3つで構成されているのが美術です。しかし、印象派が出てきた頃から美術の質を軽視する風潮がでてまいりました。そしてさらにはメッセージの部分も軽視するようになってきており、現在はどんどんクリエイティビテイだけを美術の世界では重視するようになってきています。我々は人がやっていなことをやることを重要視するようになってきています。ですから我々の現在の社会制度の中でそのクリエイティビティの意味をもっと精査しなければいけない時代に入っていると思っています。
さて、この200年のあいだ生物で増加しているのは人間だけです。他の生き物は食物連鎖や捕食者の存在で調整されるか、減少しております。人間だけが捕食者がいないので増えています。しかし、人間にとっての捕食者は環境なのです。環境の悪化が人類を減らす要因なのだと思います。しかし、環境の悪化によって人類が住めなくなった地球には人類は絶滅するだろうとも言われています。ですので、そういう環境変化に対応するための創造性を発揮することで人類の絶滅を防ぐこともクリエイテイビテイのひとつの要素であると言われています。それも一つのクリエイティビテイであり、ケン・ロビンソンのクリエイティビティだけではないということをお伝えしたいと思います。

司会 : 非常に重要なメッセージを有難うございました。それでは、私たち銀座ギャラリーズの大先輩であります東京画廊の代表をしていらっしゃる山本豊津さんにお願いしたいと思います。

山本豊津 : はい、青柳館長の後で、一体何を話せばよいのだろうかということですがお話させてください。私ども「美術と教育を考える会」を銀座ギャラリーズで発足するにあたりまして、大きなテーマとして「街が人を育てられるか」ということを銀座の街として考えていこうということです。
今、銀座の街は様々な催事をやっています。しかし、銀座の街がそのイベントを通して人を育てることができるかどうか、その大テーマに従いまして、銀座の街から‘教育’の部分を担ってくれないかといういらい期待を受けております。
1つは銀座の街を提供することで若い才能をどのように伸ばしていくかを考えています。
また、教育には遊びという要素が非常に大切です。先ほど青柳先生がおっしゃったように、創造性の裏側には破壊というものがあるということです。私たちは、遊びという空間の中で創造と破壊を体験することが大切だと考えています。
 私は東京画廊の2代目として子供の頃から様々な体験を父親からさせてもらいました。中学2年生の時、父親から多摩川でおたまじゃくしをとってきて、銀座の画廊に持ってこいと言われたことがあります。何をするのだろうと不思議に思って、おたまじゃくしをとって画廊にいくと、父親が五線譜の描いた水槽にそのオタマジャクシを入れました。すると現代音楽の作曲家が泳いでいるおたまじゃくしの動きに合わせてピアノを弾きだしたのです。それを見て「この人頭がおかしいのかな、、、」と思いました。しかし大人たちはそれを芸術だと真剣に見ているのです。子供というのは、大人を見て育ちます。子供心に、こんなバカバカしいことに一生懸命になる大人がいるこを知って、大人になるのも悪くないなと思ったのを覚えています。今の子供たちに必要なことは、大人になることはこんな楽しいことがあるんだということを見せてあげることだと思います。そして、今の子供たちに大人になることが楽しいことであるということを示せなくなっている現状が創造性をむしばんでいるのではないかと思っています。
そして、青柳館長がおっしゃっていたことに関連しますと、ケン・ロビンソンのいう創造性は私たち日本人の考える創造性と少し違います。彼らは視覚的(言語的)な情報から芸術を始め、創造性を構築します。しかし日本人の我々は花道や書道のように、体験的な蓄積から創造性や芸術性を構築しようとします。私の画廊では男性だけの花道の教室を始めました。女性と違って、男性の教室では美しく見せることよりも、お花の原点を感じることです。お花の原点に‘わら’があります。その原点をしることで、現在の花道との違いや歴史を知り創造性が生まれてくるのだと思っています。
東京画廊の企画コンセプトに多大な影響を与えたアーティストに斎藤義重先生がいます。彼は97歳まで若いアーティストの作品を見続けた人です。斎藤義重先生は、作家活動の99%までは模倣だとおっしゃっています。残りの1%が質であったり、メッセージだったりするのです。そしてその全体がクリエイティブになると言っておりました。現代の美術の世界では99%がアイデアであり、残りの1%が質であったりメッセージだったりするのです。これでは質の担保はできません。私は‘遊び’という場の中で、こどもたちに模倣を体験してもらいたいと思っています。私たち銀座ギャラリーズは、各画廊という場を使って、遊びの空間を提供し、その中でルールを作り、模倣と美術を体験することで創造性というものを育んでいってもらいたいと考えています。

司会 : 山本さん、素敵なお話を有難うございました。それでは、教育の最前線におられる泰明小学校の主任教諭の高村先生にお話を頂きたいと思います。高村先生宜しくお願いいたします。

高村弘志 : 現場にいる高村です。子供たちの環境を私から見ていると、学校に来てしまっているという感じがしているのですね。
何故そのように感じているかというと、最近、私は幼稚園のほうも担当させてもらっているのですが、幼稚園では、登園してから、はい、1時間目です、はい、2時間目になりましたという時間的な制約がないんですね。本来は絵が描きたい子は絵を描いて、何か作りたい子は何かを作るのが子供の自然な姿だと思うのです。けれど、始めから牛乳パックやハサミやクレヨンなどが用意されていて、さ~みんないらっしゃい。今日はこんな材料を用意がありますよ。といって3歳のころから子供たちは訓練を受けてしまっているのです。そして、その幼稚園生が小学校に上がって感じるのは、多分、先生がこわいということです。並ばないとしかられるし、授業中に立ちあがるとしかられます。私は小学校1年生から6年生まで見ておりますが、こどもはそれぞれ発達段階が違うと思うのですね。それでも、1年生の到達目標があって、小学校1年生では全員ここまで、2年生はここまでと学年ごとの箱に押し込められているように感じています。そして子供たちは1週間に2時間だけ図工の時間があるのですが、それ以外の授業では全て答えのあるものに向かって教育を受けています。
1たす1は2だよ。という明確な答えを暗記することに多くの時間を費やしています。それが何故2になるかを教えられずに、答えを暗記することに重きがおかれているのです。国語の時間に書き順が違えば、何故違うかがわからないままに、書き順はこうだと覚えさせられるのです。そんな子供が美術の時間になって私の所に来て、‘さあ自由に描きなさい’といっても無理な話です。‘先生どうやって描けばいいのですか?’と子どもたちはやってきます。
私は教員を初めて32年目になりますが、教員をやっていて教育改革という図工の改革の真っただ中におりました。私が教員になりたての頃は、学習指導要領というものが何年生は絵を描かせるとか、何年生になったらこれをするといった指導がありましたが、そういうものが学習指導要領からなくなっていきました。そして20年ほど前から造形遊びというものが指導要領にのるようになってきました。こちらには美術の先生も多くいらっしゃいますが、担任の先生に造形遊びってなんですか?と理解されないものです。私は東京都の採用で図工の専科ですが、地方にいくと担任の先生が数学から国語から図工も教えています。子どもたちは、今のご時世でマニュアルを探しています。どうやったらいいかの答えを探しています。平成生まれの美術の教員の指導も仰せつかりますが、どのように美術の授業をすすめたらよいのか私にマニュアルを求めてきます。子どもたちだけでなく、指導する立場の新任の先生たちも、自分で考えろというと何も動かなくなってしまいます。ですのでマニュアルで動いている教師から教わった子どもたちは何も疑問も持たずに、美術の授業でも答えを求めて時間を過ごしています。
子どもたちはインターネットを利用することでグローバル化をしています。文化というものを子ども達に味あわせたいと思っておりますが文明の利器に負けています。文化とは特有の地域や国にあるもので輸出できないもののはずで、世界のスタンダートではありません。それが今の子どもたちはグローバルスタンダードというものを無意識に自分の価値観の中に取り込んでいるために文化の創造性といった意味において暗い影を落としているように感じています。しゃべりすぎました。次へバトンを渡します。

司会:高村先生、貴重なお話を有難うございました。高村先生には私たち、銀座ギャラリーズとともに、今年で4年目になりますが小学校3年生全員を学校の授業で、画廊巡りをさせていただいており、銀座の地域における新しい取り組みをご一緒させていただいております。
さて次に、鑑賞教育の一人者でおられる上野先生からお話を頂きます。上野先生は、美術教師にこれからなる人材を育成する所にいらっしゃるので、美術教育においては非常に影響力の大きい方です。

上野行一 :今まで皆さんのお話を伺っていて感じたことですが、創造性というのは難しいですね。定義することすら難しい。その難しい創造性を育成するとなると、ますますどのようにしていくのかは、非常に困難を極めます。また、その方法が見つかっていれば、本日このように集まる必要はないわけです。
さて、創造性ということばを考えたときに2つの側面があると考えています。社会的な側面からとらえた創造性。これは今までにないものを生み出すこと、社会的に求められる創造性です。もう一方は、個人の側面からとらえた創造性です。学校教育では、個人の創造性という部分に重きがおかれると考えています。これは社会的なインパクトとは関係ありません。大人からすると、こんなこと当たり前じゃないかという事を、子どもたちは学習の中から発見し、色々と生み出します。絵の具の黄と青を混ぜたら緑になった。大人からすると当たり前の事でも、子どもには驚きの出来事であり、そこから自分で色を創り出そうとします。それはその子にとっての創造性なのです。そのような体験をさせ、自分たちで見つける体験を積み重ねることで、創造性が身についていくと考えられます。
また、思い描くことをしっかり経験させることが大切なことだと思います。(略)

3歳のこどもが描く人間の絵は胴体も手も足もなく、顔だけで表現したりします。そして、しばらくすると顔から直接、手や足を描くようになります。頭足人ともいいますが、顔であり胴体なのですね。そして5歳くらいになると顔の下に胴体を描くようになり、胴体から手や足が描かれるようになります。そもそも幼いこどもの絵はスクリブル(なぐり描き)から始まります。これはチンパンジーも同じです。しかし、チンパンジーはいつまでたっても、赤いペンでりんごを描くなど、具体的なものを描くことはできません。与えられた顔の輪郭に目や鼻、口を描き加えることはありません。3歳のこどもが顔を描けるのは、心の中で顔を思い描いたからでしょう。ヒトとチンパンジーの発達の違いは、思い描く力にあるようです。美術の授業で大事なことは、上手に絵を描かせることではなく、自分なりの想像を膨らませて描くようにすること。心にイメージを浮かばせる事、それを描かせることが創造性の育成につながるのではないでしょうか。

司会: 有難うございました。それでは 全員のお話をお伺いした上で、本日は選挙戦のお忙しい中、教育を専門とされていらっしゃる鈴木寛参議院議員にお越し頂きました。是非、本日のシンポジウムの感想と、ご質問など頂けましたら幸いです。

鈴木寛 : 皆さんこんにちは。鈴木寛でございます。まずは 皆さんからのお話、とても楽しませて頂きました。

先ほど、上野先生がこれからお話しようとされたことだと思うのですが、私は‘学びのイノベーション’というプロジェクトをやっています。それは何かというと、今までの教育は工場で立派に働く人を育ててきているという現実です。それはマニュアル通りに行動し、正確に言われた通りのことを行う人材を育てることです。しかし、今の日本社会においてそれらの仕事は人間のやる仕事ではなくなってきております。私は慶応の湘南キャンパスにいたときに、
 MITとクリエイティブ・コラボレイティブ・アート・ワークというワークショップをやっていたのですが、これからは違うバックグランドを持った人間と何かを作っていくような、教育の中でのパラダイムシフトを進めたいと3年ほど活動しております。その中で、山本さんがおっしゃっているような遊びは非常に重要で、アートという分野は、これからの教育の中でコアに据えていきたい分野であると考えています。私自身、頭でっかちな人間だったのを変えてくれたのは大学時代の駒場小劇場での4年間であり、私の実体験として人生に質的な変化をもたらしてくれたことが今の活動の大きな原動力となっています。また銀座で街で子どもを育てるということですが、これもコミュニティスクールといって地域の子どもは地域で育てるというもの活動をやっています。今おかげさまで1183のコミュニティスクールができておりますが、コミュニティってどうやって作るのかというと、はい、集まりましょうといってもできるものではありません。先ほどの山本さんのお話ではありませんが、一緒に真剣に楽しむことが大切で、その結果、コミュニティができてくるのだと思います。その地域のコミュニティを作る良いきっかけがアートなのではないかと私は思っています。ですから地域の中でもアートは大切ですし、アートを中心に進めていきたいと考えています。ただ、こういう話を10年くらい続けてきておりますが、問題として感じているのは今なお、教科書を作っている教科調査官といった方がたが、彼らは文部官僚でもないのですが、文部省の中の密室で政治家も入れない部屋がありまして、そこで彼らが学習指導要領を書いていて教育の根本的なことを作成しているのです。私たちが改革を推進しようとしても立ち入れないし、どのように進められているのかがわからないのです。現場の皆さんもフラストレーションを抱えていらっしゃると思いますし、私も文部副大臣としてこの問題に取り組もうとしても同じようなフラストレーションを抱えていたわけです。皆、同じようにフラストレーションを抱えているわけです。これをどのような形で好循環にしていくのかを考えたいと思います。私としては、今回のように銀座ならば銀座はこのような形で話し合うことから、三鷹は三鷹の地域で話し合い、その情報交換を通じてすこしづつ実績をつんでいくしかないのかな、、、という思いを持っています。多分、本日の会も、それぞれのコミュニティにおける少数派なのだと思いますが、それぞれの異端児が情報共有することで、少しづつ社会を変える原動力にしていければと考えています。私自身も本日のような日にこのような現場にいるような異端児ではありますが、教育改革にかける情熱を多くの方と共有したいと思っています。

司会 : 鈴木先生、本当にお忙しい中有難うございました。それではせっかくですので、近藤長官から順番に返答をお願いしたいと思います。

近藤誠一 : 今の鈴木先生のお話には共鳴することばかりです。先ほどもお話いたしましたが、折角創造性を持つ人が、組織なり、役所なり、政党なりの狭い自己防衛の論理により行動が狭められている現実をどのように変えていくかという問題だと感じています。人としては能力も意思も創造性も持つもの同志が今回の会合のように水平につながり、大きな輪を作っていくことがもしかすると近道なのかもしれません。美術の世界で経験する、新しいことにチャレンジする精神が、他の世界においても必ず役に立つものであることを認識し、美術だけでなく多くの産業とつながることでネットワーキングしていくことが日本の社会の活性化につながっていくのだと思っています。

青柳正規 : 明治時代から文部科学省が設立され、教育の中であきらかに成功していることが2つございます。ひとつは和音階を完全に西洋音階にしてしまったことです。これで、我々は完全に身体の中から和音階がなくなってしまったのです。沖縄の島唄を聞くと、懐かしさを感じるのは、どことなく和音階のなごりを私たちが感じているからで、それでも私たちの中では完全に西洋音階に移行してしまっています。
 そして、もうひとつは日本人はそこまで行く道順の地図を描いてくれと言われると、誰でもが世界でトップレベルの地図が描けます。ヨーロッパなどでは地図を書いてくれといわれても描けない人がほとんどです。このふたつにおいては、日本の教育において大成功したといってもよいでしょう。日本の教育において、このホモジーニアスな教育が成功したことによって、高度経済成長を支えたといってもよいでしょう。今、世界では多様性が求められている時代と言われておりますが、現在の日本は圧倒的にまだホモジーニアスです。たとえば、日本の大学においても年齢的にも18歳からせいぜい25歳程度までの人しか大学生としておりません。ここでもダイバーシティが求められています。諸外国の大学で認められるような年齢の多様性が日本にはありません。そのような、構造的にホモジーニアスな日本社会を変えていくのは、かなり大変です。それでもやらなければいけません。
そして、今、私たちは経済的に厳しい局面を迎えているといわれておりますが、確かにフローの世界では厳しいものがありますが、ストックの世界で日本人一人当たりの豊かさを見れば2008年の調査ですが世界で一番です。これはエコノミストの7月号だったかと思いますが、忘れましたが、ご覧いただきたいと思います。さらにイギリスのBBCが毎年行っている調査で、世界に良い影響を与えている国のランキングではカナダと日本が一位か二位です。そういうあるがままの日本の現状を認識して、そこから出発しなければいけないと思います。妙な悲観論も、妙な楽観論も全てはナンセンスです。現実を客観的に見つめて、そこから始めることが大切だと考えています。世界の中で日本のおかれた状況、ならびに世界から与えられている評価を見つめなおすところから我々が目指す教育改革を進めるべきだと考えています。たとえばアメリカにはティーチ・フォー・アメリカというNPO団体があります。そこは有名大学に通っているような大学生が良い就職をするためにティーチ・フォー・アメリカという団体に登録をします。すると、学級崩壊したような学校に学生が派遣されます。そこで2年間、命をかけて教師をするのです。そうすることで、身体能力も身に付きますし、厳しい経験をたくさんします。そしてアメリカの有力企業はそのような経験をした学生を競うようにして採用するのです。日本でもそれを真似したNPO法人があり活動しておりますが、日本ではその活動はなかなか評価されません。社会の評価システムとバックグランドが違うのです。ですから日本には日本独自のそのような仕組みを作らなければいけない。つまりはアメリカのそのままの真似ではなくて、そこにクリエイティビティが必要なのです。アメリカでやっている本質をとらえて日本流にアレンジすることが重要なのです。
また、ユネスコがその国の評価をするときに、その国の社会科の教科書をその国で作っているかどうかを一つの基準にしています。先ほど鈴木先生が教科書問題を指摘しておられましたが、政治家の方も介入できない教科書問題がユネスコの評価対象になっているのです。しかし、あの社会の教科書はうすっぺらすぎます。もっとEUの教科書ではありませんが情報が入ってしかるべきだと思っています。

司会 : はい、有難うございました。貴重なお話を有難うございました。それでは次に山本さんお願いいたします。


山本豊津 : 私どもの仕事は質がなんといっても大切です。やはり、画廊の命というのは、その画廊が扱っている作品の質です。扱っている作品によって、ある意味、画廊の地位が決まるのです。我々はこの質を失ってしまうと、世界性を失ってしまいます。
また、美術は質を介したコミュニケーションの手段になります。これは、宗教がコミュニケーションの手段となった時代が終わって、美術がとってかわるのではないかと感じています。世界の宗教が原理主義に陥り、非寛容になってきたからだと思います。たとえば、東北の震災のときに日本中の宗教家の方が集まる場所が大学の宗教学の先生の所であったという事実がございました。
美術の役割を別の観点からとらえると、美術家とデザイナーの違いがわかりますか? 美術家は全てのリスクを自分が負います。キャンバスなどの画材から、描く対象まで全てのリスクを自分が負います。しかしデザイナーや建築家は違います。デザイナーや建築家は依頼者がいて、金銭的なリスクは負いません。しかし、芸術家は金銭的なリスクを含めて全てを自分が背負うわけですから、宗教を超え、国を超えて、世界性を持つのです。たとえば、東京画廊では北朝鮮から絵を持ってきて展覧会をいたしました。それは個人だからできたのです。組織ではできません。たとえばここにいらっしゃる美術の先生も個人で興味を持っていただいたから、銀座の画廊巡りという授業が実現しました。これも個人だからできたことだと思っています。ですから、個人の興味が人を動かし、組織を動かし、国を動かすようなことを美術ではできるのではないかと考えました。私がクリエイティブな人をみて感じたのは、世の中を変える人というのは、人が来るのを待っている人ではありません。会いたい人の所を訪ねる人です。ロシアにいる商社マンは現在、韓国と中国の人たちで日本人はほとんどいないようです。取引をしたいならば訪ねにいかなければいけません。私たち日本人は訪ねていくということの重要性を考えなければいけないと思っています。そして私たちも、画廊という場所で待っているだけでなく、訪れる人を呼ぶために訪ねる努力をしなければなりません。
僕は、ひとつ具体的にやってみたいことがあって、それは首相官邸で初釜の茶会を催すことです。現代は、日本の総理という権力者が正月の初釜に京都にいっているのです。これは秀吉の時代にはありえません。利休を大阪城に呼びつけるのが権力者であり、茶の世界だったのです。企画は、総理が首相官邸で茶会を開き、そこで使う伝統工芸品の目録を作ります。そのカタログを、そこに来られた世界中の大使館関係者にお渡しします。それと同時に世界にある日本の大使館を通してそのカタログを配ります。これを現実にやっているのがドイツ銀行です。ドイツ銀行は支店のある国の美術品を購入しカタログを制作して世界中に配っています。そして、その国で訪ねてきたVIPにカタログを配ります。自分の国の美術品を集めているドイツ銀行にたいして悪い思いはしないはずです。

日本は伝統工芸品を戦略的な輸出品目として応援してきた歴史がありますが、現在ではそのような動きはほとんどありません。総理官邸での茶会を通じて、日本の伝統工芸品を世界に売り込む突破口にしていきたいと考えています。私のお客様に内閣府の守衛さんがいます。その方は有名なコレクターで美術館に作品を貸し出しもしている方です。守衛さんの部屋にも現代アートを飾って眺めています。ですから、首相官邸には現在、日展の作家が持ち回りで飾られていますが、これらを一時変更することも可能だと考えました。すこしづつ、慣例を変えていくことで社会を変えていくことが可能であると思っています。また現在パリでは、南部の鉄瓶が向こう3年先まで予約がいっぱいな程売れています。そして越前の和紙は世界の絵画の修復には欠かせないものになっています。それらのものを、首相官邸の茶会のカタログに掲載していくことで、世界へアピールしていくことが必要なのではないでしょうか?

司会: 山本さん、有難うございました。山本さんの野望を実現するためにご協力したいと思っています。さて、次は現場の高村先生からお話をいただきますが、差支えのない範囲で結構ですので現実的なお話をいただきたいと思います。

高村弘志 : 現場からということですが、皆さん 本日こちらにいらっしゃるときに子どもの作品ありましたよね。ご覧になりましたか?ちゃんと立って、こちらでございます、というような作品ですが本校の5年から6年にかけて制作した作品です。現場で感じる難しい問題は保護者の理解です。まず、保護者から‘うちの子、他の子と違うんですけど、おかしいのでしょうか?’ときます。私としては、子どもたちに自分の作るものを考えてもらい、立っていればなんでもいいと考えておりますが、保護者は他の子と違うものを作ると不安になるようです。さらには担任も自分のクラスの生徒が全員同じようなものをつくると安心して、‘よしよし’と言ったりします。私としては、こんなことでいいのかな?と疑問に思ったりしています。
今まで子どもたちを美術館に連れて行ったりしておりましたが、暗い絵があったりすると面白がらないんですね。それを画廊に連れていくと全員大喜びするわけです。ひとつは値段です。おお、こんなに高いんだとか、俺はそれでもこっちの安い絵の方が好きだ。とか、絵が値段じゃないということを本能的に理解するのですね。私は子どもたちを画廊に連れていく前に
一つだけ注意しました。お願いだから、好きか嫌いかだけを考えてね。ところが担任からは、高村先生、子どもたちに何か書かせましょうか?というので、いいです。見ることに集中させましょう。しかし、担任は子どもたちに何かを書かせたがります。こういう所も役所なのだと思います。ですので、子どもたちには何も書かせないことにしています。そうすることで、子どもたちは安心して作品を見ております。何か書かなければいけないとなると、子どもは心に重たいものを引きずります。でも、書きたい子にはかかせます。また、実際に作家さんに会えるということろも美術館とちがっていい所ですね。子どもたちのコミュニケーション能力は画廊にいくと良くなりますよね。それは違う考え方の人のことがわかるということです。学校の中でも学年があがると多様なコミュニケーションが必要とされてきており、重要な教育課題となっています。あと子どもたちは教えることで知識も技術も上達します。それは、自分の身につけたことを人に教えることで定着するからです。ですから、子ども同士で教えあうという授業は非常に効率のよい教育であると考えています。そもそも、人に教えるということは学習の基礎かもしれませんね。教育の現場からでした。

司会 : 貴重なお話を有難うございました。それではお時間も厳しくなってまいりましたが上野先生にまとめていただきたいと思います。

上野行一 : はい、こんな高村先生のような先生ばかりだといいですね。やはり先ほど鈴木先生がおっしゃったような教育のパラダイムシフトは必要ですね。先ほど申しましたが、2011年に小学校に入学した子どもが社会人になるときには、その65%は今はない職業についているだろうとデューク大学のエコノミストが言っています。世の中はすごいスピードで変わっていくのです。残念ながら、教育に社会を変える力はありません。社会が教育を変えていくのです。今の教育モデルは工業化社会のモデルにそった教育モデルです。つまり大量生産のモデルが現在の教育モデルになっています。
 しかし1973年にダニエル・ベルが脱工業社会という社会概念を示して以来、新しい社会モデルが模索されるのですが、近年では創造性を核とする産業モデルであるクリエイティブ・エコノミーが中心となる社会と言われています。国連の報告では、2002年から2008年の経済停滞をしていた時代に2倍以上に伸びた産業が、美術や工芸、デザイン、音楽、ニューメディアなど創造性を核とするサービスや商品開発を行うクリエイティブ産業と言われています。ですから、これから創造性を発揮できるような子どもを育てていかないと経済成長ができないと言われています。
 またマクロの目で産業構造の転換をしていかないと、社会がたちゆかなくなってしまいます。様々な国が今の日本のような状態を経験をしています。韓国もそうですし、イギリスもそうでした。そこから復活していくわけですが、その背後にはクールブリタニカ(ブリタニア)と呼ばれる文化政策があり、教育改革があったわけです。このような事例なども日本が参考にする一例になるのではないかと考えています。


司会 : 有難うございました。まだまだ 多くのことを皆さまからお伺いしたいのですがそろそろお時間になりましたので、お開きにしたいと思います。また、別途皆さまには今後の‘美術と教育を考える会’のご案内ならびにアンケートもご記入いただいてご報告したいと思います。本日はお忙しい中有難うございました。